大判例

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神戸地方裁判所 昭和54年(ワ)683号 判決

原告

星野吉次郎

原告

新井猛

原告

悦正禎

原告

吉田勉

原告

木村信義

原告

吉野秋吉

原告

吉岡惟恭

原告(亡西山良樹訴訟承継人)

西山寿子

原告(同)

西山栄樹

原告(同)

公文秀央

原告(同)

公文末喜

原告(同)

石川長治

原告(同)

勝千代子

原告(同)

山河征子

原告(同)

石川守

原告(同)

石川二三子

原告(同)

藤尾タカ子

原告(同)

小笠原明子

原告(同)

奥田紀美子

原告(同)

佐々木久恵

原告(同)

永野玉亀

右原告ら訴訟代理人弁護士

藤原精吾

田中秀雄

井藤誉志雄

深草徹

前哲夫

中村良三

佐伯雄三

近藤忠孝

高橋敬

小沢秀造

山根良一

被告

三菱重工業株式会社

右代表者代表取締役

飯田庸太郎

右訴訟代理人弁護士

山田作之助

羽尾良三

門馬進

竹林節治

畑守人

中川克己

主文

一  被告は、原告平本良国に対し金二二〇万円、同星野吉次郎に対し金一六五万円、同悦正禎に対し金一六五万円、同吉田勉に対し金二七五万円、同吉野秋吉に対し金五五万円、同西山寿子に対し金八二万五〇〇〇円、同西山栄樹に対し金六万八七五〇円、同永野玉亀、同小笠原明子、同公文秀央、同公文末喜、同石川長治に対し各金三万四三七五円、同勝千代子、同山河征子、同奥田紀美子、同石川守、同石川二三子、同佐々木久恵、同藤尾タカ子に対し各金四九一〇円及び以上に対する昭和五四年七月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告新井猛、同木村信義、同吉岡惟恭の各請求及びその余の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告新井猛、同木村信義、同吉岡惟恭と被告との間で生じた分は同原告らの負担とし、原告平本良国、同悦正禎、同吉田勉と被告との間に生じた分はそれぞれ五分し、原告星野吉次郎と被告との間で生じた分は一〇分し、原告吉野秋吉と被告との間で生じた分は二〇分し、その余の原告らと被告との間で生じた分はそれぞれ七分し、いずれもその一を被告の負担とし、その余を当該原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事   実<省略>

理由

第一編総 論

第一当事者

請求原因第一(当事者)の事実は、原告ら従業員が騒音被曝を受け、騒音性難聴に罹患したとの点を除き、当事者間に争いがない。

第二騒音性難聴について

一騒音性難聴の意義、症状等

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

1  騒音性難聴の意義

およそ、人は強大な騒音に曝露された場合、それが短時間であつても、一時的に聴力低下をきたすことがある。このような現象を一時的聴力損失(Temporary Threshold Shift―TTS)と呼ぶが、これは聴覚の疲労現象と考えられており、一定の時間がたつと回復するものである。

しかし、一時の聴力損失が十分に回復する前に再び強大な騒音の被曝を受け、これが長期間にわたつて反覆継続されると、聴覚の疲労現象が一歩進んで聴覚器官の損傷を生じ、永久的聴力損失(Permanent Threshold Shift―PTS)に至る。

このような慢性的な騒音被曝による永久的聴力損失を騒音性難聴という(以上の事実は当事者間に争いがない。)。

2  騒音性難聴の病理

(一) 聴覚器官の構造

人の聴覚器官の構造は次図〈省略〉のとおりである。

耳に達した音(気圧振動のエネルギー)は、(1)外耳、(2)中耳、(3)内耳を通つて脳に伝えられる。

外耳は、伝わつてくる音波を外耳道に集めて鼓膜に伝える。中耳にはツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨という三つの小さな骨があり、鼓膜の振動はこの三つの骨によつて内耳に伝えられる。内耳には蝸牛管と呼ばれる長さ約三五ミリメートルのらせん状の管がある。蝸牛管は基底膜によつて上下二つの道に分かれ、膜上にはコルチ器と呼ばれる約三万の非常に敏感な感覚細胞(有毛細胞)があり、同細胞上には聴覚神経末端が存在する。内耳に達した音のエネルギーは、基底膜のゆがみとなつて有毛細胞上の聴神経末端を刺激し、その刺激が脳に伝えられることにより、われわれは音を感ずるのである。

右聴覚器官のうち、外耳及び中耳は、音のエネルギーを内耳(感音器官)に伝達する役割を果たすため伝音系器官と呼ばれ、内耳及び聴覚神経は音を感ずる機能を果たすため、感音系器官と呼ばれる。

(二) 騒音性難聴の病理

騒音性難聴は、右聴覚のメカニズムのうち、コルチ器有毛細胞の変成または損傷によるものであるが、高度障害ではコルチ器全体の変成、損傷に至る場合もあるとされている。

(三) 難聴の分類

難聴には外耳及び中耳の伝音系器官に障害がある伝音性(系)難聴、内耳及び聴神経に障害がある感音性(系)難聴及びこの両者が重なり合つた混合性難聴がある。これらは臨床的には気導聴力と骨導聴力との関係によつて区別することができる。

すなわち、われわれが日常聞いている音は、空気を媒体として耳に達する音(気導音)であり、発音体→空気→鼓膜→中耳→内耳→聴神経という径路をとつて中枢に達する。このような場合の聴力を気導聴力という。

これに対し、発音体の振動が直接頭蓋骨に伝わつた場合、その振動は発音体→頭蓋骨→内耳→聴神経という径路をとつて中枢に達する。この場合の聴力を骨導聴力という。われわれが耳を塞いでも自分の声が聞こえるのは骨導聴力によるものである。

そして、伝導性難聴の場合、感音器官には異常がないから、気導聴力は低下するが骨導聴力は低下しない。感音性難聴の場合、気導聴力と骨導聴力が共に低下し、その程度において差がない。混合性難聴の場合、気導聴力・骨導聴力とも低下するが、気導聴力の低下がより大きい。

騒音性難聴は、前記認定のとおり、感音系器官である内耳コルチ器の損傷によるものであるから、感音性難聴に属する。

3  騒音性難聴の症状及び特徴

(一) 聴力の検査方法

騒音性難聴の主要な症状が聴力低下にあることはいうまでもない。

聴力の検査方法としては、通常、純音聴力検査及び語音聴力検査の二つが用いられる。

第一の純音聴力検査は、一定周波数の純音(ピーという音)を発生する機械(オージオメーター)を用いて、各周波数ごとの最小可聴閾値を測定する検査方法であり、検査結果を図表化して記載したものをオージオグラムという。

ところで、人間の言語は周波数でいうと五〇〇ないし二〇〇〇HZくらいの範囲の音によつて構成されているので、この音域を言語帯域と呼んでいるが、純音聴力検査結果から言語帯域における聴力損失値を算出する方法としては、次の四分法並びに六分法が用いられる。

(1) 四分法

(2) 六分法

(右のaは五〇〇HZ、bは一〇〇〇HZ、cは二〇〇〇HZ、dは四〇〇〇HZの各純音聴力損失値である。)

第二の語音聴力検査は、文字どおり人間の肉声を用いて数字、単語などを聞かせ、聞き取り成績を調べる方法である。

言語帯域における聴力損失値と日常の会話聴取能力との間には、一般に次表〈省略〉のような関係があるといわれている。

そして、騒音性難聴の症状には、以下のような特徴がある(そのような特徴があることは当事者間に争いがない。)。

(二) 気導聴力・骨導聴力が共に低下する。

騒音性難聴は、前記のとおり感音性難聴の一種であるから、気導聴力及び骨導聴力が共に低下する。

騒音性難聴患者は、骨導聴力も低下し、自分の声もよく聞こえないため、会話の際に不必要なほど大声で話す者が多い。

(三) 聴力低下の進行経過

騒音性難聴の進行経過には、相当の個人差があるけれども、一般的には次図〈省略〉に示すような経過をたどる。

すなわち、騒音被曝の初期には、四〇〇〇HZ付近の周波数音域の聴力が低下し、オージオグラム上深い谷を形成する(これは、C5デイップと一般に呼ばれている。C5とは音楽用語で四〇九六HZの音をさし、ディップとは谷の意である。)。そして、曝露期間が増加するについて、周波数音域を広げながら聴力低下が進むが、とりわけ高周波音域での聴力低下が著明であり、徐々に低周波音域にまで波及していくのである。

したがつて、騒音性難聴患者のオージオグラムは、初期にはC5ディップ型を示し、その後、高音急墜型、高音漸傾型へと推移し、最終的には水平型にまで至るものである。

右のように、高音域での聴力損失が著明であるのは、聴覚器官の音響受傷性が高音域において強い(抵抗力が弱い)ためであると説明されている。

また、騒音性難聴の聴力損失は、通常の場合、騒音曝露開始後五年から七年のうちに急速に進行し、一〇年ないし二〇年でほぼ一定の数値に達し、それ以後は騒音被曝が続いても聴力低下は進行しないものと考えられているが、この点は後に記述する。

(四) 語音最高明瞭度の低下等

騒音性難聴においては、高周波音域から徐々に聴力損失が進むので、本人が日常会話に困難を感じ、聴力損失を自覚するころには、難聴は相当程度進行していることが多い。

また、騒音性難聴では、語音に対する明瞭度や了解度が低下し、たとえ音を大きくしても明瞭度は一定レベル以上に上がらない(語音最高明瞭度の低下)。このため、日常会話の際、周囲が声を大きくしても十分に聞きとれるわけではなく、極端に大きくした場合はかえつてわかりにくくなる。とくに、高周波音を含む子音(f、k、s等)をまちがえることが多い。

(五) 左右対称性

騒音性難聴の場合、騒音被曝の影響は左右両耳ともほぼ同等に受けるため、聴力低下の程度も左右耳で差がない。したがつてオージオグラムにおいては左右対称性を示す。しかし、まれには左右耳で音響受傷性が異なるために左右差を生ずるケースもある。

(六) 補充現象

騒音性難聴の患者には、小さい音は聞きとれないが、大きい音については正常人とさほど変わらずよく聞こえるという者が多い。このことは、聴力検査においては、音を聞こえないレベルから次第に強めていくと可聴閾値あたりで急に大きく聞こえだす現象(補充現象)として現われる。

この現象は、同じ感音性難聴に属し、騒音性難聴と類似点の多い老人性難聴においては見られないので、老人性難聴との鑑別に用いられるが、騒音性難聴でも、症状が進行し聴力損失が五〇dB以上になると補充現象の存在は明瞭でなくなる。

(七) 耳鳴り

耳鳴りは騒音性難聴の重要な症状の一つである。

恩地豊の報告(昭和二六年一一月―甲B第四号証)によれば、調査対象となつた八〇耳のうち、二九耳に耳鳴りの訴えがあり、ことに難聴の程度が進むにつれ、耳鳴りの発生率も増えている。

耳鳴りのピッチは三〇〇〇ないし八〇〇〇HZの範囲が多いが、その症状は純音、雑音、楽音など症例によつて様々である。

(八) 以上のほか、騒音性難聴には前庭機能障害(体の平衡を保つ機能の障害)を伴うことがあるとの指摘もあるが、騒音被曝との関連性は十分に解明されていない。

4  騒音性難聴の診断

(一) 騒音性難聴であるというためには、最低限、当該患者が一定レベル以上の強大な騒音に長期間曝露されてきたという経歴(騒音被曝歴)を有していることが前提である。

右の騒音のレベルがどの程度のものでなければならないかについては、後に検討する。

(二) 右のほか、騒音性難聴の診断にあたつては以下の三点を留意しなければならない。

(1) 騒音被曝と聴力低下との間に関連性があること

騒音性難聴の場合、騒音被曝以前には聴力損失はなく、被曝期間の長期化に伴つて増悪傾向を示し、騒音被曝が終了すれば増悪しないものである。

(2) 聴力像において、騒音性難聴の諸特徴を有すること

(3) 他原因による難聴と混然するような鑑別がなされないこと

(三) もつとも、騒音性難聴の症状や進行経過には個体差が大きいから、必らずしも騒音性難聴の諸特徴をすべて備えているものではない。しかも、騒音性難聴が進行するとその諸特徴の多くも失なわれていくものである。

また、難聴には多くの種類のものがあり、ことに同じ感音性難聴に属する薬物中毒による難聴や老人性難聴などは、騒音性難聴との類似点が多く、その鑑別は容易でないのが事実である。

要するに、前記(二)の(1)ないし(3)の三点は、診断の絶対的な決め手とはならないものであり、したがつて、診断のためには、前記(一)の被曝騒音レベル、周波数構成、被曝期間と、右(1)ないし(3)の諸点とを総合的に検討して判定するほかはない。

なお、老人性難聴との鑑別については後に説示する。

5  騒音性難聴の治療

騒音性難聴に対しては、現在までのところ、適当な治療方法が発見されていない。

したがつて、騒音性難聴においては、これを予防することがとりわけ重要となる。

二老人性難聴との関係について

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

聴力は加齢によつて悪化する。その変化は生理的なものであり、既に二〇歳代後半からごくわずかであるが進行を開始する。五〇歳くらいまでの聴力低下は極めて軽微であるためほとんど問題にならないが、五五歳前後から急速に悪化する場合が多い。

加齢による聴力低下の程度は、極めて個体差が大きいが、横内幸子の調査(一九六四年)によれば、日本人の加齢による聴力低下の平均値は次表〈省略〉のとおりである。

老人性難聴の聴力型は、高音域において聴力損失が著しい高音漸傾型を示すことが多く、オージオグラムは左右対称性を示す。また、感音性難聴であるから、気導・骨導聴力差はみられない。

騒音性難聴との区別は、前記のとおり補充現象の有無が指摘されているが、進行した騒音性難聴では、補充現象もみられなくなるので、その鑑別は極めて困難である。

したがつて、ある難聴患者が騒音被曝歴を有すると同時に、高齢でもある場合、その聴力損失が騒音被曝によるものであるか、あるいは加齢によるものであるか、両者の影響があるとすれば、その割合はどの程度であるかという判断は、ごく例外的なケースを除いては不可能といえる。

そこで、当該患者の加齢による聴力損失が平均的であり、かつ騒音被曝による聴力損失と相乗作用はない(すなわち相加的である。)ものと仮定し、全体の聴力損失値から加齢による聴力損失の平均値を差し引いたものを騒音に起因する純聴力損失値(net hearing loss 又はNIPTS)とみなす方法がASA(American Standard Asossiation)で採用され、多くの騒音性難聴研究者もこの方法に従つている。

三騒音被曝期間の増加と騒音性難聴の進行について

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、その認定に反する証拠はない。

1  耳鼻科専門医、公衆衛生学者等の騒音性難聴研究者の間では、各種の調査結果にもとづき、騒音性難聴の聴力損失は、曝露期間の増加に比例して直線的に増加するのでなく、就業後五年ないし一〇年の短期間は速やかに増加するが、次第に増加速度は緩やかになり、一〇年ないし二〇年で一定の極限値に収束し、それ以上は聴力損失は進行しないとする見解が一般的である。

2  右の進行停止に至る期間については、多くの調査結果や見解が発表されている。

例えば、甲B第一号証(「新労働衛生ハンドブック」渡部真也執筆部分)は、「聴力損失の進展の様相は図(略)のように、曝露後数年のうちに急速に進行し、約一〇年のうちにその人に起こしうる障害をほとんど起こしてしまう。」とし、乙B第五〇号証の六(「難聴の診断と治療」立木孝)では、金属鉱山従業員について勤務年数に年齢を加味した調査によつてみると「難聴発生に勤務年数が関与するのは、就業より五〜一〇年くらいの間で、それ以後は年齢の増加という要素に深い関係がある。」と指摘している。

他にも甲B第一九号証(「造船所音響の聴器に及ぼす影響に就ての臨牀的研究」草川一正)、乙B第一八七号証の三(オージオロジー一六巻四号)等にも同様の指摘がある。

しかしながら、騒音性難聴における聴力損失の進展のしかたは個人的に多様な経過をたどるものであり、右諸見解も、曝露年数一〇年をこえると騒音性難聴は全く進行しないと断定するものではなく、統計的資料に基づく「聴力像」の固定化の傾向を述べたにとどまる。

他方、甲B一三八号証(「強大騒音の質的量的評価」山本剛夫)は、四〇〇〇HZのNIPTS(騒音被曝による純聴力損失)については曝露年数一〇年と四〇年との間に差は認めないが、その他の周波数については一〇年以後も増加し、ことに二〇〇〇HZの場合に増加が大きいとのアメリカの研究者の調査結果を紹介しており、また甲B第一三九号証(「外科全書」志多亨執筆部分)は、四〇〇〇HZよりも低い周波数帯域の聴力損失値は、とくに強大な騒音環境下では一〇年を境として一定値にとどまることなく次第に増大する傾向が認められ、この点はたとえ年齢因子を較正してもやはり有意の差がある旨指摘している。

3  以上要するに、現在までの医学的知見によれば、騒音性難聴は騒音曝露開始後五年程度の比較的短期間のうちに相当進行し、次第に進行は緩やかになつて一〇年前後で進行が停止する場合が多いけれども、進行停止の時期は被曝騒音のレベルや個体差によつても異なり、概ね一五年ないし二〇年まで、ときには二〇年を超えて進行する場合もあることが認められ、騒音性難聴の進行は一〇年間で完全に停止すると断定することはできない。

四騒音性難聴を発生させる蓋然性のある騒音レベルについて

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  騒音性難聴の発生率及び症状の程度は、一般的にいつて、被曝騒音の大きさ(騒音レベル、又は音圧レベルなどといい、単位はデシベル又はホンを用いる。)及び曝露年数と相関関係がある。

のみならず、前記一2のとおり、人間の聴覚器官は、高音域の音ことに三〇〇〇HZないし四〇〇〇HZの音によつて最も傷害を受けやすい。

したがつて、被曝騒音の周波数構成(どの音域に主勢力をもつているか。)によつても、騒音性難聴の発生は左右される。

2  どの程度のレベルの騒音によつて騒音性難聴が発生するかという問題については、これまで主として労働衛生の立場から騒音性難聴を予防するための許容基準をどこに設けるかという問題として研究が行なわれ、それらに基づき多くの国で許容基準が設定されるに至つている。

各国の水準をみると、ほとんどの国では、一日八時間曝露に対する騒音レベルについて八五dB又は九〇dBを採用しており、最近では八五dBを採用する国が増えている。

わが国では、昭和二三年に労働省が一〇〇dB以上の騒音のある場所での作業を有害業務に指定していた(昭和二三年八月一二日付基発第一一七八号)が、昭和五三年に日本産業衛生学会が詳細な許容基準を定めて勧告している。

右勧告は、曝露時間が一日八時間の場合の基準を五〇〇HZで九二dB、一〇〇〇HZで八六dB、二〇〇〇HZで八三dB、四〇〇〇HZで八二dBとしており、この基準以下であれば騒音曝露が常習的に一〇年以上続いた場合でも、永久的聴力損失を一〇〇〇HZ以下の周波数で一〇dB以下、二〇〇〇HZで一五dB以下、三〇〇〇HZ以上の周波数で二〇dB以下にとどめることが期待できるとしている。

3 以上のとおり、各国の許容基準の大勢は、わが国も含めて、一日八時間曝露の場合、八五dBないし九〇dB程度であるということができる。

ところで、騒音性難聴に罹患するか否かは個体差が大きいから、右許容基準を大きく越える騒音下で作業していても騒音性難聴にならない者がいる反面、許容基準以下でも騒音性難聴に罹患する者がいないわけではない。

したがつて、ある難聴患者の被曝騒音が許容基準を越えているからといつて直ちに騒音性難聴であると判定することはできないし、逆に許容基準を下回つているからといつて直ちに騒音性難聴を否定できるわけでもない。

要するに、ある難聴患者が騒音性難聴であるか否かの判定は、被曝騒音のレベル、被曝期間、オージオグラム上の聴力像、他原因の存在等の諸事情を総合考慮して行なうべき事柄である。

もつとも、被曝騒音のレベルが許容基準を大きく上回つている場合には、それだけ強く騒音性難聴であることが推定される関係にあり、このことは、岡本途也医師が別件訴訟の証人尋問において、騒音性難聴の労災認定にあたり、当該患者の職場騒音レベルが一〇〇ホン以上であれば問題なく騒音性難聴と認定するが、九〇ホン以下であれば、本人の素因や他の原因を疑うと述べているとおりである。

第三造船業界及び被告神戸造船所における騒音作業及び難聴患者発生の実態について

一はじめに

原告ら各人が被告神戸造船所及び高砂製作所において従事した作業、あるいは在籍した職場における騒音の程度については、後記各論において個別に検討することとするが、ここでは、その前提として、造船業界及び被告神戸造船所における騒音作業並びに難聴患者発生の実態を総括的に検討し、併せて、造船業界において昭和三〇年代前後に進められた船舶建造方法の改善状況、及びそれが職場の騒音状況にどのような影響を及ぼしたかについても触れることとする。

二工法改善以前

1  造船業界

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる(なお、以下で述べる各種調査結果の存在については、当事者間に争いがない。)。

(一) 戦前から戦後初期にかけての船舶建造方式は、船台上に竜骨板を並べて肋骨を立て、その肋骨に切断・曲げ加工を経た鋼板を一枚一枚リベットで打ちつけていく方法が採られていた。

右建造の工程には、(1) ハンマー、タガネ等を用いて、切断した鋼材の縁削りを行う作業(ハツリ作業)、(2) ニューマチックハンマーあるいは手持ハンマーを用いて、鋼板や型材を打撃し、歪取りや曲げ加工等の成型をする作業(撓鉄作業)、(3) ニューマチックハンマーでリベットを打つて鋼材と鋼材を接合する作業(絞鋲又はカシメ作業)、(4) 鋼板の接続部位をニューマチックハンマーで叩いて空隙をなくす作業(填隙又はコーキング作業)など、いずれも金属の打撃により強烈な騒音を発生させる作業が含まれ、このため、右作業の行なわれる造船所内の船台、撓鉄工場、機械工場、組立場などは、激しい騒音職場であり、造船所は騒音職場の代表といつた観さえあつた。

(二) 造船所が騒音職場であり、そこに働く従業員の中に難聴患者が多発していることは、古くから指摘されていた事実であり、既に大正二年には、陸軍軍医による徴兵検査に関する調査の中で、長崎三菱造船所及び佐世保海軍工廠の職工合計一七五名の中から、七一名(四〇・五%)の難聴者が発見されたことが報告されている。

戦後になると労働衛生が重視され、職業病への関心が高まつたことから、騒音作業に従事する者の難聴罹患の実態を把握するため、造船業を始めとして各種の産業にわたり、広汎な聴力検査が行なわれるようになつた。その代表的なものは、次の日本造船工業会の調査及び労働省の調査である。

(三) 造船工業会の調査

日本造船工業会は、労働者の協力のもとに昭和二六年から二七年にかけて、日本の主要八造船所における騒音及び聴力障害の実態を調査した。その調査報告によれば、造船所における騒音作業の状況は、船台作業では一〇〇ホン、所内工場では八〇ホンを越える所が多く、圧搾空気器具を用いる作業では、労働者の位置で一二七ホンに達していること、周波数分析を行うと圧搾空気器具による騒音は一〇〇〇HZ以上の高周波音域に主勢力を有していることが指摘されている。また、作業員の聴力損失状況は、全検査耳数三八四七耳のうち、正常と目される一五dB以下は三二%、一六dB以上は六八%、このうち四六dB以上は一三%に達していた(聴力損失値は四分法による。)。また職種別には撓鉄工を筆頭として鉄工、製缶工の中に難聴患者の発生率が高いが、熔接工や木工の中にも四六dB以上の難聴患者が発生している。

(四) 労働省の調査

労働省は、昭和三三年から同三五年にかけて、全国の二八業種、三七〇事業場の中から、九〇ホン以上の騒音を発する作業を騒音作業として抽出し、その騒音の程度、従事者の聴力損失程度を調査したが、このうち造船業に関連する騒音作業の騒音程度、聴力損失状況は次表〈省略〉のとおりである。それによれば、造船業における騒音作業は大別して一三種類であるが、そのいずれも騒音レベルの最高が一〇〇ホンを優に越え、中には一三〇ホンに達するものもある強烈な騒音作業であること、三〇dB以上(六分法)の聴力損失者の発生率は二・七〇%から三〇・五八%の範囲にあるが、ことにニューマチックハンマー等の圧搾空気を用いる工具を使用する作業あるいは、機械ハンマー、手ハンマーを用いて金属の鍛造、成型を行う作業(ハツリ作業を含む)において、難聴発生率が顕著である。

(五) 以上のほか、昭和三〇年代頃までの造船所の騒音実態を調査した報告は多数存在する。概ね右(三)、(四)の調査結果と大差ないが、一、二の調査結果(表にまとめたもの〈省略〉)をあげると次のとおりである。

2  被告神戸造船所

(一) 〈証拠〉によれば、被告神戸造船所における従業員の聴力損失状況の調査報告としては、次の二つが存在することが認められる。

(1) 昭和三三年度衛生年報(甲B第一五八号証)

同年度の聴力検査によれば、聴力検査の対象となつた三五一一名のうち、一六dB以上(四分法)の聴力損失を生じている者が九二六名(二六・四%)、四一dB以上の者が一四九名(四・二%)であり、その内容を所属別、勤続年数別等により分析すると次表〈省略〉のとおりである。

(2) 昭和三四年度衛生年報(甲B第一五八号証)

同年度の聴力検査によれば、被検査数一一四一名のうち、一六dB以上(四分法)の聴力損失を生じている者は三二五名(二八・五%)、四一dB以上の聴力損失を生じている者は五名(〇・四%)であり(この数値は、昭和三三年度の聴力損失者の比率と比較すると相当低いことが認められるところ、一年間で難聴患者の比率が大きく減少することは考えられないから、これは被検査者の抽出方法、あるいは検査方法、検査時の周囲の条件等に左右されたものと推測される。)、その内容を所属別、勤続年数別等により分析すれば、次表〈省略〉のとおりである。

右事実によれば、被告神戸造船所における難聴患者の発生率は、造船業界全体(前記造船工業会の調査結果)と比べて若干低いとはいえ、相当高い水準にあるものといえる。

(二) 右のほか、〈証拠〉に表われた「耳をつんざくばかりの騒音」などという記事などは、被告神戸造船所の騒音を客観的に測定したものではないけれども、その実態を推測させるものとして参考となる。

三工法の改善

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  工法変革

戦後の我が国造船業界は、戦争によつて諸外国から立ち遅れた船舶建造技術の革新及び設備の近代化により国際競争力をつけることを至上命題とし、各企業が競つて先進技術の導入、開発に努力したばかりでなく、各大学、官公立研究所、日本海事協会、民間の造船各社が協力して日本造船協会(現日本造船学会)を設立し、同協会を媒介にして造船各社間の技術交流を積極的に行ない、共同で造船界全体の技術革新を推進した結果、昭和三〇年代の前後にかけて、大規模な工法の変革、設備の近代化が成し遂げられ、我が国の造船技術は世界の最高位国家と肩を並べることとなつた。

右工法変革は、船体構造における溶接接合の広範な導入及びブロック建造方式の確立を中核とするものであるが、以下に記述するとおり、それは船舶建造の全工程に及ぶものであつた。

被告神戸造船所も造船協会の発足当時からこれに参加し、その成果である新技術をいち早く導入すると共に、自らも独自の工法開発に努めるなどし、我が国造船界における新技術の導入開発については、トップレベルにあつたということができる。

2  罫書き

罫書きとは、鋼材を設計図に従つて切断、加工するため、鋼材に線や印を書き込む作業である。

従来、各種部材の罫書きは、実物大の現図に基づいて定規や木枠等を作成し、これに沿つて鋼材に必要な点・線等をハンマー及びポンチ(先端の尖つた棒状の工具)によつて刻印していく、いわゆるポンチングという方法によつたが、この方法の場合、ハンマーによる連続的な打撃音が発生していた。

その後、昭和三〇年代前半以降、罫書きを省略して縮尺原図に基づき直接鋼材を切断する自動切断機の導入や、縮尺原図から鋼板に直接投影・焼付する写真罫書きの方法などが開発され、ポンチングによる罫書きはほとんど行なわれなくなつた。

被告神戸造船所においても、昭和三一年にモノポール切断機(自動拡大切断機)を導入して実用化し、昭和三二年、三三年にも同機を増設したが、鋼材切断工程の過半を処理するには至らなかつた。またその精度にも問題があつたため、切断後に修正のためのポンチングを必要とすることもあつた。

昭和三七年に被告神戸造船所は、EPM(Electro Print Marking system)と呼ぶ電子写真による自動罫書き装置を開発、実用化した。

これは、鋼板にあらかじめ感光処理を施し、そこに縮尺原図(ネガ)を拡大投影して現像処理する写真印画の原理を応用したものであり、この方法の導入により、ポンチングはほぼ姿を消すに至つた。

また、昭和四五年にはNCガス切断機(原図を数値化し、電算機の制御によつて自動的にガス切断を行う装置)も導入された。

もつとも、型鋼については、これら自動罫書き装置が利用できないため、従前のポンチングの方法が残されていたが、その後、鋼材の表面処理技術が進んだ結果、現在では墨さし及びマーキングペンが利用されている。

3  切断

従来、部材の切断については、シャリング・マシン(剪断加工機)によつて押し切る機械切断の方法がとられ、その切断面の仕上げのために、エッジ・プレーナー(縁削り盤)を使用したり、チッピングハンマーによるハツリ作業が行なわれていた。このハツリ作業は強烈な騒音作業である。

しかし、昭和二〇年代後半に至り、これまで小物部材などに一部用いられていた手動のガス切断の方法が自動化され、性能向上がはかられた結果、切断方法は、機械切断からガス切断へと徐々に切り替えられていつた。

被告神戸造船所においても、昭和二六年ころ半自動ガス切断機(一定速度で自走し、方向は手で自由に制御できるもの)を導入したのを皮切りに、ガス切断への転換に着手し、昭和二八年には全面的にガス切断が採用されるに至つた。そして、昭和二九年には国産のフレーム・プレーナー(平行切断機―二本の平行したレールの上をガス切断機が自走し、平行部材を切断すると同時に、溶接のための端部形成を行う装置)が導入され、さらに昭和三〇年代にはいると前記モノポール切断機も導入され、これらにより切断工程におけるハツリ作業はほぼ姿を消した。

4  曲げ加工

鋼材を必要な形状に曲げ加工するために、従来はローラーやプレスで粗曲げを行ない、そのあとの仕上げに、鋼材を加熱して大型ハンマーで打撃して成形する方法、あるいは圧搾空気を動力とするピーニング・ハンマーにより鋼板を連続打撃して成形する「ピーニング」という方法が広く用いられていた。この二つの作業は、いずれも強烈な騒音を発する作業であつた。

その後、昭和三〇年代初めころから、ローラーや油圧(又は水圧)プレスの大型化、曲げ精度の向上がはかられ、定盤上における仕上げ工程の多くが不必要になると共に、仕上げの方法としても、線状加熱法又は点状加熱法(ガスバーナーで鋼材の一部を局所的に熱した後、水をかけて急冷し、その時に生ずる材料の伸縮を利用して曲げる方法)が開発され、広く利用されるようになつた。

被告神戸造船所においては、昭和三一年に六〇〇トンプレス、昭和三五年に一〇〇〇トン油圧プレスが導入され、また、昭和三〇年ころから本格的に線状加熱法が導入された。

これらにより、昭和三五年ころには、曲げ加工の工程において、手持ちハンマーによる仕上げ作業又はピーニング作業は大幅に減少するに至つたが、それでもなお、型鋼の曲げ加工など一部の工程には、昭和四〇年代以降も手持ちハンマーによる作業が残されていた。

5  接合・組立て

部材と部材の接合については、従来、鋲接(リベット接合)の方法が用いられていた。

鋲接には、穴明け、鉸鋲、填隙の三段階の工程が必要である。穴明けは、ポンチング・マシン(打ち抜き機)、ボール盤等を用いて鋼材に穴を明ける作業であり、鉸鋲(カシメ)は、穴を明けた鋼材を重ね合わせて熱した鋲を通し、ニューマチックハンマーを用いて鋲の一方を打撃してつぶし、接合させる作業であり、填隙(コーキング)は鋲接箇所の水密・油密を確保するため、鋲接部の上板の縁を圧搾空気を動力とするコーキングハンマーによつて下板に密着させる作業である。これらは、いずれも騒音を発する作業であるが、ことに鉸鋲と填隙は造船所の騒音作業を代表するものであつた。

しかし、昭和二五年ころから、船舶建造法の合理化をはかるうえで決定的なものとして、溶接法の採用が強く指摘され、このころから自動溶接機の導入、鋼材、溶接棒の材質の向上が進められるに伴い、徐々に溶接法の範囲が拡大されていつた。

溶接法は、結合すべき鋼材と類似の性質の鋼棒に、溶接性能をよくするための各種金属酸化物等を塗布した溶接棒を接合部位に押し当て、これに電気アークを飛ばして、その高熱で鋼材及び溶接棒を溶かし、溶融接合するものであり、鋲接法と比較して、船体重量の軽減、工数の軽減、油水密の確実性等の諸点において優れていたので、昭和三〇年代には、新造船の船体構造の大部分に溶接接合が採用されるようになつた。その反面、溶接接合には亀裂が生じやすいという欠陥があるため、昭和四〇年代になつても、特殊の鋼材を利用する場合を除いて、船体の重要部分については採用することが困難であり、鋲接が完全に姿を消したのは、昭和五〇年代初頭とみられている。

また、右の溶接法の採用によつて、組立の工程も大きく変容を遂げた。すなわち、従来は、切断・加工された各部材を船台上で一個ずつリベットで接合していく方法がとられたので、作業工程が船台に集中し、船台での騒音は一〇〇ホンにも達する(甲B第一〇号証)激烈なものがあつた。しかし、溶接法が中心となるに従い、地上であらかじめ鋼板を溶接して船体の各部分を組み立ててブロックとし、ある程度の艤装を施した後、船台でブロックを運んで組み合わせ、溶接するという方式(ブロック建造方式)が採用されるようになつたので、作業工程は分散し、船台における作業密度は減少し、その結果、船台上の騒音も減少するに至つた。

被告神戸造船所においても、昭和二五年ころから溶接法への転換が進められたが、被告神戸造船所における新造船及び修繕船全体を通じた溶接使用率に関する資料は存在しない。もつとも貨物船を中心とする新造船に関するデータが存在し、それによれば、一船あたりの平均的溶接使用率は、昭和二四年ころまでは約三八%であつたが、昭和二五年以降急激に増加し、昭和三〇年には九七%程度に至つた。その後昭和三〇年代は九七、八%で推移したが、昭和四三年には初めて全溶接船が進水していることになつている。

右のように、被告神戸造船所においても、昭和二〇年代後半から昭和三〇年代初頭にかけて、貨物船の新造船を中心として急速な溶接法への転換が行なわれた。しかし、修繕船の分野では、依然として鋲接がもつぱら行なわれ、また新造船の分野でも昭和四〇年代半ばころまでは船体の一部に鋲接が残されていた。

6  仕上げ(ハツリ)

ハツリとは、不要部分を削り取る作業をいい、従来は、圧搾空気を動力とするチッピング・ハンマーにより先端のタガネを高速で金属に打ち込む方法で行なわれ、強烈な騒音作業であつた。

ハツリは、もともと鋼材を切断した場合に生ずる不要部分を削り取つて、切断面を仕上げる工程などに主として用いられていたが、溶接工法が普及するにつれ、突き合わせ溶接における裏溝ハツリや溶接コブのハツリに広く利用されるようになつた。

裏溝ハツリとは、溶接部位の反対側から再溶接するため、反対側を溝状に浅く削り取る作業であり、溶接コブのハツリとは、ふたつの部材を接合する場合に溶接しやすい位置に固定するための補助ピースや吊りピースを取り外した跡のコブを取り去る作業である。

しかし、鋼材の切断面の仕上げについては、自動ガス切断機の導入により、作業そのものが不必要になり、裏溝ハツリその他のハツリについては、昭和三〇年代からアーク・エア・ガウジング又はガス・ガウジング(放電の熱等により金属を溶かし、空気噴流で吹き飛ばす方法)あるいはグラインダーによるハツリに徐々に切り替えられ、さらに昭和四〇年代以降には片面自動溶接法の開発により、裏溝ハツリの必要性自体がなくなっていつた。

被告神戸造船所においても、昭和三〇年頃からガス・ガウジングを利用していたが、昭和三三年にはアーク・エア・ガウジング四セットを購入し、以後徐々にこれらへの転換を進めた。

また、片面溶接法については、昭和三九年に手溶接によるFCB法(フラックス銅バッキング法)と呼ぶ片面溶接法を開発・実用化し、さらに昭和四一年には、片側自動溶接法(RF法あるいはFCB法などと呼ばれる各種の方法)を導入し、溶接法の合理化をすすめた。

もつとも、昭和三〇年代から四〇年代にかけての大型タンカーを中心とするめざましい新造船需要により、船舶建造量が飛躍的に増大すると共に、溶接工法の利用率も高まつたため、チッピング・ハンマーによる裏溝ハツリ、あるいは溶接コブのハツリの作業量も増大し、昭和四〇年代以降も相当広く行なわれていた模様である。

例えば船殻工場では、昭和四四年一〇月から、作業環境改善施策の一貫としてチッピング・ハンマーによる騒音絶滅対策にとり組み、昭和四五年末には、チッピングハンマーによるハツリをアークエアガウジング及びグラインダーによる仕上げに転換した。

右の例でみるように、チッピングハンマーによるハツリは、昭和四〇年代前半までは少なからず行なわれ、昭和四〇年代後半に至り、漸く姿を消した。

四工法改善と騒音

1  前項で認定したとおり、被告神戸造船所における船舶建造法は昭和三〇年代の前後を通じて大きく変容し、それに伴い、各種工程における作業方法も消滅したり、あるいは変化したりした。そして、その結果、被告神戸造船所における騒音状態もある程度の変容を生じた。

そこで、工法改善後の騒音状態について、以下に検討を加えることとする。

2(一)  〈証拠〉によれば、被告神戸造船所内業課各棟の一定の場所(必らずしも作業者の耳の位置ではない。)において、昭和四八年一二月、昭和五〇年三月、昭和五二年七月の三度にわたり騒音測定した結果をまとめると、次表〈省略〉のとおりとなることが認められる。

同表によれば、

(1) 昭和四八年一二月における測定値(中央値=甲B第三六号証によれば、多数回の測定値を累積度数曲線に表わし、その累積度数が五〇%に相当するレベルの値をいうものと認められる。)は、最高がYA棟の九六・五ホン、最低はA棟の八二・五ホンであり、その他の棟は概ね八五ホン前後の数値を示しているが、八五ホンを越えている棟が相当数存在する。

(2) 昭和五〇年三月における測定値(最高値と最低値)は、最高値については、最高はL棟の一〇〇ホン、最低はA棟及びC棟の八五ホンであり、多くの棟で九〇ホンを越えている。また最低値については、最高がYA棟の九五ホン、最低がD棟の七七ホンであり、多くの棟で八五ホンを越えている。

(3) 昭和五二年七月における測定値(平均値)は、最高がYA棟及びWA棟の九六ホン、最低がA棟の八〇・五ホンであり、ほとんどの数値が八五ホンから九五ホンの間にあるが、課内平均は八九・八ホンである。

以上の事実が認められる。

(二)  甲B第四六号証(昭和五三年九月七日に配布された造船工作部の三分間教育資料)によれば、造船工作部の騒音状況は次のとおりであることが認められる。

(1) 騒音場所

内業、組立工場 八〇〜九〇ホン

船台、船台船、岸壁船 八〇〜九〇ホン

空気圧縮機室 九〇ホン以上

クレーン移動 八〇〜九〇ホン

(2) 騒音発生工具

中ハンマー 一〇五〜一一五ホン

一〇HDファン 一〇五〜一一〇ホン

手動エアーグラインダー 一〇〇〜一〇五ホン

ガス切断、加熱 九〇〜一〇〇ホン

電気溶接 八五〜九〇ホン

船発電機の運転 九〇〜一〇〇ホン

アークサウジング 八五ホン

3 工法改善後の騒音状態に関する騒音測定資料で、本件の証拠として提出されたものは右2の(一)、(二)に掲記の各資料以外に存在せず、右各資料も被告神戸造船所全体に及ぶ詳細な調査資料ではない。しかし、前記一、二で認定した事実と右2で認定した事実とを比較対照すれば、騒音状況のおおよその変化を理解することが可能である。

すなわち、切断工程においては、シャーリングマシン等による機械切断からガス切断へと切り替えられ、チッピングハンマーを用いた切断面のハツリ作業は不要となり、曲げ加工工程においては、プレス機の大型化精密化及び線状加熱法の導入により、手ハンマー、ピーニングハンマーを用いた鋼材の打撃作業は姿を消し、接合工程においては鋲接から溶接(電気溶接)に切り替えられ、穴明け、ニューマチックハンマーを用いた鉸鋲、コーキングハンマーを用いた填隙の各作業は不必要となり、仕上げ工程においては、チツピングハンマーによるハツリ作業がアーク・エア・ガウジングやグラインダーによるハツリ作業に切り替えられ、以上の結果、かつて造船所における代表的な騒音作業といわれ、その騒音レベルは優に一〇〇ホンを越すものであつた鉸鋲(カシメ)、填隙(コーキング)、ピーニング、ハツリ等の各作業は姿を消すに至つた(もつとも、これら作業が姿を消していつた過程は、前記二で認定したように、長期間にわたり、徐々に進められていつたものであり、部分的には相当遅い時期まで、これらの作業が残つていたことに注意すべきである。)しかし、右各作業にかわり、新たに導入された作業も、多くは少なからぬ騒音作業であり、例えば切断工程におけるガス切断作業は九〇〜一〇〇ホン、曲げ加工工程における線状加熱法の際のガスバーナーによる加熱作業は九〇〜一〇〇ホン、接合工程における電気溶接作業は八五〜九〇ホン、仕上げ工程におけるアーク・エア・ガウジングによるハツリ作業は八五ホン以上、グラインダーによるハツリ作業は一〇〇〜一〇五ホンである。

また、ブロック建造方式の導入により、かつての船台のように、激烈な騒音作業が集中し、職場自体の騒音としても、〈証拠〉によれば九五〜一〇二ホンに達するような職場はなくなつたけれども、例えば内業課各棟のように、多くの棟は職場騒音が八五ホンを越え、九〇ホンを越えるような棟も少なからず存在している。

4 以上を要するに、工法の改善により、騒音作業及び職場の騒音状態は、相当程度の改善を見たけれども、工法改善後の作業及び職場の騒音状態においても、前記騒音の許容基準を八五ホンとすれば、多くの作業、職場がこれを越え、許容基準を九〇ホンとしても、これを越える作業、職場も少なからず存在するという水準にあつたといわざるを得ない。

耳栓の支給、装着状況及びその遮音効果については後に検討する。

5  被告神戸造船所における労災認定患者の発生

〈証拠〉によれば、最近に至り、被告神戸造船所又はその下請会社に在籍した者から、騒音性難聴を理由とする労災認定請求がなされ、これに対し、その認定がなされていること、被告神戸造船所においては、昭和五二年一月から昭和五八年三月までの間に、騒音性難聴を理由として労災認定を受けた者の数は、社外工を含め、少なくとも合計四四〇名あり、そのうち労災等級一四級の者が四三名、四級ないし一一級の者が三九七名となつていること、このうち、内業課加工係における認定の状況は、昭和五二年一月から昭和五六年一二月までの労災申請有資格者三一名中認定者は一九名で認定率は六一・三パーセントであることがそれぞれ認められる。

右労災認定を受けた者らの騒音性難聴の原因が、被告神戸造船所におけるいつの時期の騒音被曝によるものであるかは明らかでないが、少なくとも右事実は、被告神戸造船所のかつての騒音状況を示すものである。

第四因果関係

一問題の所在

原告ら各人の騒音被曝と聴力障害との因果関係については、後記各論において個別に検討するが、概括的にいえば、原告らのほとんどは、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による保険給付の申請をし、所轄官庁から原告らの疾病は騒音性難聴であり、業務に起因する疾病であるとの認定を受け、保険給付を得ているので、以下右労災保険における業務起因性の判定と民事訴訟における因果関係との関係について検討する。

二労災保険における騒音性難聴の取扱いについて

1  「著しい騒音を発する場所における業務による難聴等の耳の疾患は、業務上の疾病の一つとして、労働者災害保険法(以下「労災保険法」という。)上の保険給付の対象となる」とされている(労働基準法七五条、七七条、同法施行規則三五条、同別表第一の二、労災保険法七条一項一号)。

これに基づき、労働省は「騒音性難聴について」と題する通達(昭和二八・一二・一一基発第七四八号)を発しているが、その内容は次のとおりである。

所謂騒音性難聴の取扱いについては左記によられたい。

一  次の各号を満す場合は騒音性難聴として労働基準法施行規則別表第一の二第二号一一に該当するものとして取り扱うこと。

(一)  鋲打、製罐作業等当該労働者が強烈な騒音を発する場所(職場の暗騒音が七〇フォーン以上で、その周波数分析により高音域に主勢力を有するものと認められる場所)における作業に引き続き従事していたものであること。

(二)  オージオグラムが次の通りであること。

(イ) 気導オージオグラムにより三〇〇〇サイクル音以上の部分に聴力欠損が認められること。すなわち、聴力欠損が低音域よりも高音域において大であること。

(ロ) 二五〇サイクル及び八〇〇サイクル音の骨導による聴力が外耳道を塞ぐ場合は一〇dB以上上昇すること。

(三)  リンネ氏法が陰性でないこと(骨導が気導よりも延長していないこと)。

(四)  鼓膜には著変が認められないこと。

(五)  次に掲げる難聴でないこと。

(イ) 中耳疾患、薬物中毒、脚気、急性伝染病、熱性疾患、家族性難聴、メニエール氏症候群及び梅毒による難聴

(ロ) 災害性の曝(発)音障害、頭部外傷等による難聴

(ハ) 老人性難聴

二  聴力検査にあつては次の条件によること。

(一)  聴力検査室の騒音は四〇フォーン以下であること。

(二)  オージオメーターは性能の優秀なものを使用すること。

(三)  検査にあたつてはしばしば正常耳によりオージオメーターを正常な状態に保つこと。

(四)  聴力検査は騒音作業の直後等をさけ、平常の聴力によること。

三  その他診断にあたつては次の事項を参考とすること。

(一)  職種、経験年数、兵歴の有無(特に爆音にさらされたことの有無)等。

(二)  騒音性難聴は、騒音業務を継続することによつて増悪する性質を有すること。

(三)  騒音業務を離れる場合は(進行性に)増悪はしない性質を有すること。

右法令及び通達によれば、騒音性難聴の認定には、当該難聴が騒音職場における作業に従事したことによつて生じたものであること、換言すれば業務起因性が要求されていることが明らかであり、右業務起因性は客観的相当性を内容としているから、基本的には民法上の債務不履行又は不法行為における法律上の因果関係(ただし、通常生ずべき結果としての相当因果関係)と同一のものであると理解することができる。

2 そこで、次に、労災保険給付における等級認定等の運用について検討する。

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

労働基準監督署は、騒音性難聴による労災保険給付の申請があつた場合、等級認定の資料とするため専門の医師に診断及び聴力検査を委嘱し、医師の意見書に基づき等級認定を行う。

聴力検査の方法、回数等については、労働省通達(「障害等級の認定基準について」)によつて詳細に定められているが、要点を記すと、聴力検査の方法は日本オージオロジー学会制定の「標準聴力検査法」に従い、純音による気導・骨導聴力検査及び語音聴力検査を行うこと、検査は日を変えて三回行ない、二回目及び三回目の測定値の平均値をとること、聴力検査は九〇ホン以上の騒音にさらされた日後七日間は行なわず、聴力検査前八日ないし九〇日の間に九〇ホン以上の騒音にさらされたことのあるものについては、検査日後さらに七日間ごとの間隔をおいて聴力検査を重ね、有意差がないことを確認のうえ等級を認定することなどである。

労働基準監督署から委嘱を受ける医師は、労災病院の耳鼻科の医師など、聴力検査について豊富な経験を持ち、労災認定業務の実際にも通暁した医師が多い。

右委嘱を受けた医師は、問診、耳鼻科的な診療のほか、聴力検査を行う。聴力検査は、前記通達によれば、一定の間隔を置いて三回行うのが建前であるが、実際には、諸般の事情から格別疑問のある患者を除き、少ない回数で済まされることが多い。また、検査は被検査者に音を聴かせて聴取した時に合図するといつた方式で行うため、明確な詐聴といえなくとも、被検査者の心身の状態、主観的願望によつて影響されることがあり、このような場合に生ずる誤差を発見し、修正することは熟練した医師でも困難とされている。また、認定申請者がどの程度の騒音被曝を受けてきたかについては、最終所属事業所から資料が提出される場合があり、時には労働基準監督署が騒音測定を実施することもあるが、通常は申請者の従事してきた職種、申請者からの聴取によつて行なわれている。また、申請者の難聴が他原因によるものかどうかは、主として問診、耳鼻科的な診察によつて行なわれるが、事業所側において業務起因性を争わず、認定申請に協力している場合には、必らずしも厳格な鑑別診断は行なわれないのが実情である。老人性難聴については、加齢による平均的聴力損失値を差し引く等の操作は行なわれていない。

これらの検査を経て、医師は労働基準監督署に対して意見書を提出するが、騒音性難聴であることに疑問がある場合には「騒音性難聴の疑い」などの意見が付され、極端な場合には医師が等級認定を拒否する場合もある。しかし、この点の最終的判定は労働基準監督署の職責である。

以上の事実が認められるところ、右事実によれば、騒音性難聴の認定は、熟練した医師が診察及び聴力検査を行つた上で診断した意見に基づき行なわれるものであるから、右医師の診断は一応尊重されるべきである。しかし他方、申請者の被曝騒音の程度の判定や他原因との鑑別については、必らずしも十分な資料に基づかず、あるいは厳密な検討が行なわれていない面があることも否定できず、労災認定を受けたからといつて、直ちに相当因果関係の存在を肯定できるものではない。すなわち、労災認定は損害賠償請求訴訟における裁判所の認定に対して拘束力を持つものではなく、両者の判断基準に異なる場合が当然あり得る。

結局、労災認定の存在は、裁判所の相当因果関係を判定する上での一資料として用いられるべきであり、かつそれにとどまるものというべきである。

第五責任

一安全配慮義務の意義

労働契約又は雇傭契約において、使用者は労働者に対し、労務供給に伴つて生ずる可能性のある危険から労働者の生命、健康を保護するよう配慮する一般的な義務を負うものと解される。

右の安全配慮義務は、使用者が労働者に労務供給を命ずる過程において、その供給場所、利用設備、労務内容等から労働者の生命、健康に対して危険が生ずるおそれのある場合には、労働者の生命、健康を保護するために、信義則上当然に発生する義務である。したがつて、その根拠となる契約ないし法律関係は、労働契約又は雇傭契約に限られるものではなく、広く一般的に、一方当事者が労務を供給し、他方当事者が労務供給を受けるべき場所、施設もしくは使用器具等の設置管理を行ない、あるいは直接指揮命令を与える等の方法により、当該労務を支配管理するような関係にある場合には、そのような法律関係にもとづき安全配慮義務が発生するものと解するのが相当である。

また、右安全配慮義務の内容は、一律に画定されるものではなく、労務供給関係における労務の内容、就労場所、利用設備、利用器具及びそれらから生ずる危険の内容・程度によつて具体的に決せられるべきものである。

二下請工・社外工に対する安全配慮義務

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  原告平本、同星野、同吉田、同吉野、亡西山の五名(以下「原告ら下請工」という。)は、被告の下請企業である共栄工業、富士産業、松尾鉄工所、三神合同、鈴木工業所等に所属し、被告神戸造船所又は高砂製作所構内において勤務した。

右下請企業のほとんどは、もつぱら被告との間でのみ工事・作業の下請をする専属下請の関係にあり、そうでない企業でも他の企業の下請となつたり、あるいは自ら元請負をすることはまれである。

原告ら下請工の勤務場所は、ほとんど被告神戸造船所又は高砂製作所構内に限られ、他の場所で勤務したことはほとんどない(亡西山が鈴木工業所時代に約一か月程度被告構内以外で勤務したことがあるだけである。)。被告神戸造船所及び高砂製作所の敷地、工場建物、ドック、クレーンその他の諸設備は、すべて被告の所有にかかるものであり、かつ被告又はその子会社(近畿菱重興産等)が管理している。

2  原告ら下請工の作業内容についてみると、たとえば原告吉田は、昭和二六年頃から昭和四二年頃までの間、松尾鉄工所、金川造船所、被告臨時工、三神合同と所属は変わつたが、一貫して被告神戸造船所鉄構内業係E棟において型鋼の曲げ加工作業に従事し、被告本工と三、四人で一組の班を構成して作業をした。また亡西山も、昭和二六年頃から昭和四四年頃まで被告臨時工、鈴木工業所、三神合同と所属を変えたが、作業内容は、本工と共に船台における取付作業に従事することが多かつた。

このように、本工と下請工とが入り混じつて同一の作業を行う場合、作業の指揮監督は被告の職制が行なつていた。

次に、原告平本、同吉野の所属していた共栄工業は、被告神戸造船所鋳造課I棟又はE棟において独立した区画が与えられ、本工と入り混じつて作業をすることはなかつたが、共栄工業の請負つているのは、鋳造製品の製造工程のうち主として仕上げ工程のみであつたから、製品の運搬、検査等の工程では本工が同一棟内で働いており、同一製品の製造工程を分担する関係にあつた。共栄工業には、ボーシンと呼ばれる現場責任者が置かれていたが、被告の職制から作業工程その他の指示がボーシンを通じてなされており、時には直接指揮命令がなされることもあつた。

このように、下請企業が一応独立した工程を委される場合でも、それは全体の製造工程に組み込まれており、完全に独立したものではなく、被告の職制が直接又は間接に指揮監督を行なつていた。

3  下請企業の利用する工具類、消耗品などは下請企業が所有する場合が多かつたが、クレーン、プレス機等の機械類は被告の所有であり、またニューマチックハンマー等に利用する圧搾空気、光熱関係等は被告から無償で提供されていた。

4  被告は、下請企業に働く従業員の安全衛生を保持するため、下請企業に指示して安全協力会を組織させ、同会の行なう会議、講習会等に被告衛生課等の担当者を派遣していたほか、朝礼、衛生パトロール、三分間安全教育等の機会には、被告の社員が下請企業の従業員に対して直接安全衛生の指導を行なつていた。

以上の事実によれば、原告ら下請工は、被告との間で直接の契約関係はないけれども、被告の設置管理する被告神戸造船所又は高砂製作所構内において、主要な機械、設備は被告所有のものを利用し、直接又は間接に被告からの指揮命令を受けて就労していたものであつて、その供給する労務は、被告の支配、管理を受けていたものと認められるから、このような法律関係にもとづき、被告は原告ら下請工に対しても安全配慮義務を負うと解するのが相当である。

三安全配慮義務の内容

1  騒音作業に関する規制

まず、騒音作業に関する公法上の規制につき検討する。

労働安全衛生法二二条は、「事業者は、次の健康障害を防止するため必要な措置を講じなければならない」と定め、その一つとして、「…騒音…による健康障害」と挙げており、これをうけた労働安全衛生規則は、五八四条において「事業者は、強烈な騒音を発する屋内作業場においては、その伝ぱを防ぐため、隔壁を設ける等必要な措置を講じなければならない。」と定めている。

また、労働安全衛生法六五条、同法施行令二一条三号、労働安全衛生規則五八八条、五九一条、次に掲げる著しい騒音を発する屋内作業場については、一月以内ごとに一回、定期に騒音レベルを測定しなければならないと定めている。

さらに、同規則五九五条は、「強烈な騒音を発する場所における業務においては、当該業務に従事する労働者に使用させるために、耳せんその他の保護具を備えなければならない。」と定め、同規則五九六条は、「事業者は、…保護具については、同時に就業する労働者の人数と同数以上を備え、常時有効かつ清潔に保持しなければならない。」と規定している。

これらは、もとより事業者に対する公法上の規制であつて、そのまま債務関係たる安全配慮義務の内容をなすものではないが、安全配慮義務の内容を検討するにあたつて十分斟酌すべきことは当然である。

2  騒音性難聴防止対策

〈証拠〉によれば、労働省発行の労働衛生のしおり(昭和五三年版)において、騒音性難聴を防止する具体的方策として、次のとおり指摘されていることが認められる。

イ 環境改善

(イ) 音源の改善

騒音のより少ない機械器具、装置、工程および作業方法を採用して、騒音を減少させ、さらに音源となる機械器具、装置に適切な工作を施し、騒音を軽減化させ、また、機械器具、装置を遠隔操作し騒音発生源から作業者を隔離する。

なお、機械器具、装置の適切なメンテナンスにより騒音が増加しないようにすることも大切である。

(ロ) しや音の措置

音源となる機械器具・装置に①カバーを設ける、②ついたてを設ける、③隔壁を設ける、などの措置をして作業者がばく露する騒音の軽減を図る。

(ハ) 吸音の措置

設置のカバー、天井、壁等に適切な吸音材を使用し、作業場の吸音力の増加を図り、作業者の騒音ばく露量を低減する。

ロ 騒音の測定

作業環境の騒音レベルを定期的に測定し、騒音性難聴発生のおそれのある場所を発見するとともに、騒音対策の管理状態をモニタリングする。騒音レベルが高いときには、それに対応して、イで述べた環境改善を進め、環境改善が技術的にそれ以上不可能な場合で、かつ、騒音性難聴発生のおそれのあるときは、防音保護具の支給、着用、作業時間の短縮等の措置をとる。

ハ 防音保護具の支給、着用

騒音レベルがばく露時間からみて騒音性難聴発生のおそれがあるときは、耳栓、イヤマフなどを支給し、着用することが大切である。耳栓は、各人の耳に合つたものを、適切に着用させる必要がある。また、防音保護具は、使用しているうちに、劣化、汚損して、効果もなくなり、不快感を生じるので、適当な間隔で点検し、交換する。

ニ 作業者への衛生教育

職場の騒音レベル、騒音性難聴、ばく露量を少なくするための作業方法、防音保護具等に関し、作業者を教育し、作業者自ら積極的に騒音障害の防止のための活動を行うようにさせる。

ホ 聴力検査

定期的な聴力検査を行い、高音域の聴力低下(4KHZ)した者を早期に発見する。このような作業者が出た作業場については、作業環境、作業管理、作業方法、防音保護具の管理および着用に問題がないかどうかを検討し、不適正なものは改善する必要がある。難聴進行がある者については、適切な作業管理を行うとともに、防音保護具の着用、衛生教育の徹底を行い、必要に応じ、ばく露時間の短縮や配置転換を行う。

もつとも、右の各対策は、今日において考えられる全ての騒音防止対策を網羅したものであり、いつの時代においてもそれらの対策が可能であつたわけではない。そこで、戦前から今日に至るまでの、騒音性難聴防止対策の発展について、以下に検討することとする。

3  騒音性難聴の防止対策の歴史

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 戦前

騒音性難聴が大正初年から注目され、一部で聴力検査も行なわれていたことは、前記第三の二1に認定したとおりであるが、当時の聴力検査方法は、二メートルの距離をおいて被験者を閉眼直立させ、一耳は示指を湿して密栓し、一耳を検者の方に向け、検者は語で数字又は地名をよんで復誦させるというようなものであり、騒音レベルの測定は行なわれておらず、騒音性難聴防止対策についての提言もみられていない。

昭和初期に入ると、研究者の中では、試作の聴力計や輸入品のオージオメーターを用いた聴力検査、あるいは輸入品の騒音計を用いた騒音測定も行なわれるようになつた。そして、騒音性難聴防止対策についての指摘もみられるようになる。例えば、昭和五年に田辺秀穂は耳栓としての綿栓の効果を調べ、これにのみ多くを期待することができないが、綿栓挿入は休憩時の聴力の回復を促進し、作業による聴力減弱を幾分軽減し、多少聴力保護の効果があると報告している。また、昭和一〇年に林豊吉は、製缶工場の聴力検査結果を踏まえ、聴器を一定期間騒音から遠ざけることが大きな効果があること、工場内に防音装置を施すこと(例えば工場内を広くして騒音の反響を避け、地上の震動を軽減する装置を施すなど)が重要であり、従来は綿栓を用いているが防音効果は僅微にすぎないことを指摘している。さらに昭和一三年に鯉沼茆吾は、その著作(甲B第一六八号証「職業病と工業中毒」)の中で、騒音性難聴の予防として、機械設備、建築(床、壁)、作業方法等の改善、防音装置等により騒音の減弱をはかり、作業者は耳栓を用いて作業することと指摘している。

しかし、これらの提言は一部の研究者の間にとどまり、一般には事業者のみならず労働者においても「耳が遠くなつて一人前」との意識が強い時代であり、ことに造船所、鉱山などでは聴力障害の実態報告もみられていない。騒音性難聴防止対策としても、作業者が自衛手段として綿栓を用いる程度であり、その他の対策は本格的には行なわれていなかつたのが実情であつた。

(二) 戦後

戦後になると、労働者の健康及び災害補償の見地から工場内騒音が重要な問題であることが認識されるに至り、前記のとおり、昭和二六―二七年に日本造船工業会が大規模な実態調査を行なつたのを代表として、多くの実態報告や騒音測定方法、聴力検査方法の研究、防音保護具の開発研究が行なわれた。

騒音性難聴の防止対策については、根本的方策として、機械工具の改良、作業方法の改善、騒音作業の遮断、隔離などにより、騒音を抑制、減少させることが早くから指摘された。しかし、右の対策は、いずれも機械、建築その他工学関係の技術問題が大きな要素となつているため、技術上の困難さ、限界があるばかりでなく、経済的理由、騒音処理に明るい専門技術者が極めて少ないこと、具体的な対策の研究が遅れていることなどから、現実的には実施が困難な場合が多く、このため実際の防止対策としては、防音用耳栓を始めとする衛生面での対策に頼る側面が強かつた。

なお、右の騒音抑制の施策として、例えば事業所に騒音防止対策委員会を設け、委員として経理、技術、安全、衛生等の各部門が参加し、相互協力して行うのがよいとの指摘がなされていた。

衛生面の対策においては、昭和二七年に指示騒音計の日本工業規格(JIS規格)が制定され、以後、指示騒音計を用いた騒音測定が多くの事業場に急速に普及していつた。また、聴力検査については、国産オージオメーターの品質が改善され、徐々に普及をみた。

昭和二九年七月には、労働省内に設けられた労災審議会職業性難聴研究専門委員会が報告をまとめたが、その中でも難聴予防のため、年一回聴力検査を行うことが提言されている。聴力検査により、騒音に対する高感受性者を発見し、配置転換などにより騒音職場から離脱させることは、衛生管理の大きな目標とされていたが、例えば国鉄(日本国有鉄道)では、昭和三四年から管理基準を設け、一定レベル以上の聴力損失に至つた者を配置転換させる方策をとり、一定の成果をあげている。さらに、防音用耳栓については、昭和二六年に恩地式耳栓が開発されたのを皮切りに、多くの耳栓が開発され、早くも昭和三〇年には耳栓のJIS規格が定められた(耳栓の遮音性能等については後に記述する。)。

以上のように、騒音性難聴防止対策のうち、衛生管理面での諸施策は、昭和二〇年代から三〇年代にかけて大幅に発展したものということができる。

(三) 耳栓について

戦前又は戦後初期においては、防音用耳栓として、綿のほか、ゴム、粘土、蠟などの耳栓が考案され、中には市販されているものもあつた。しかし、後三者は防音効果は高いものの、異物感や疼痛が強く、長時間使用すると皮膚を刺激して炎症、ただれを起すことが多く、しかも話声音まで遮断してしまうので作業上不便が多いなど、非常に欠点が多かつたため、綿や紙を丸めたものが最も広く利用されたが、遮音効果はわずかであつた。

昭和二〇年代後半に入ると、昭和二六年高音域において強い遮音性能を持ち、話声を遮断しない、プラスチック製の恩地式耳栓が開発されたのを皮切りに、各種のすぐれた耳栓が開発・実用化され、早くも昭和三〇年には耳栓のJIS規格が制定された(昭和三三年改正)。その内容の要点は次のとおりである。

(種類) 次の二種類とする。

一種 低音まで全般的に遮音する耳栓

二種 高音だけを遮音する耳栓

(構造・形状)

(1) 耳によくなじみ、装着したとき著しい不快感がなく、使用中容易に脱落しない形状であること。

(2) 適当な箇所をひもで連結できる構造であること。

(材質)

(1) 普通の取扱いにおいて容易に破損せず、強さ、かたさ及び弾性が適当なものであること。

(2) 耐湿、耐熱、耐寒及び耐油性をもつものであること。

(3) 皮膚に有害な影響を与えないものであること。

(4) 適当な消毒及び洗浄に耐えるものであること。

(遮音性能)

次表の値に適合するものであること。

周波数C/S

遮音値dB

一種

二種

五〇〇

一〇以上

一〇未満

一〇〇〇

一五以上

二〇〇〇

二〇以上

二〇以上

四〇〇〇

二五以上

二五以上

備考 二種一〇〇〇C/Sの遮音値は、一五dB以下にするのが望ましい。

しかし、JIS規格に合格するような耳栓であつても、人間の外耳道の形は千差万別であるため、耳に密着せず、十分な遮音効果が得られない場合がある。のみならず、作業しているとすぐにゆるみ、しばしば抜け落ちるとか、耳に適合しないために異物感があつて長時間の使用に耐えられない、さらには話声が聞きとりにくい、ヒモが切れてすぐになくしてしまうなどの問題点も完全には解消されていなかつた。このため、耳栓を常時密着した形で装着し続けることは、労働者に相当の精神的苦痛をもたらすものであり、他方では職場の中に「耳が遠くなつて一人前」であり、耳栓などをつけるのは恥であるとの風潮も根強かつたことから、耳栓着用の慣行は職場に定着するには至らなかつたのが実情であつた。

なお、昭和五九年三月に報告された、某製管工場における耳栓及びピースキーパーと呼ばれる保護具の六か月にわたる使用実験結果(乙第五八号証)によれば、耳栓及びピースキーパー使用に対する労働者の反応は、次表〈省略〉のとおりである(この結果からも、耳栓の常時着用が困難であることが理解できる)。

4  以上を総合して、本件における被告の安全配慮義務の具体的内容は、被告において、前記2のイからホに掲げた騒音性難聴防止対策の各項目を、問題とされる時代における技術水準に照して可能である範囲で最善の手段をもつて実施すべきものであつたというべきである。

四安全配慮義務の履行

被告において、騒音性難聴を防止するためにいかなる措置をとつてきたか、そしてそれらが安全配慮義務の履行として十分であつたか否かを検討する。

1  環境改善面での対策

(一) 工程の変更及び作業内容の変更・改良について

被告神戸造船所において、昭和二〇年代後半から三〇年代にかけて、罫書き、切断、曲げ加工、接合、組立、仕上げの各工程において大規模な工法の改善がみられたこと、それによつて従来騒音作業の典型といわれた鉸鋲、填隙、ピーニング、ハツリ等の各作業は順次姿を消し、職場の騒音環境も相当程度の改善をみたこと、右工法の改善あるいは新技術の導入・開発に関しては、被告神戸造船所は業界の中でもトップレベルにあつたこと、右のほか、船殻工場では、昭和四四年一〇月から作業環境改善施策の一環として、チッピングハンマーによる騒音絶滅対策に取り組み、チッピングハンマーによるハツリからアークエアガウジング及びグラインダーによるハツリに転換する施策を行なつたことは前記第三の三に認定したとおりである。

(二) 遮音板の設置等

〈証拠〉によれば、被告神戸造船所においては、各工場、作業場の各工程ごとに隔壁、遮音板等を設置することは技術上の困難さを伴うことから、それらの措置はとられていないこと、技術上の難点のない場合には、例えば、ショットブラスト運転室への隔壁の設置、マイバッハエンジン試運転場の設置等の措置をとつていることが認められる。

以上認定のとおり、被告は最先端の技術を開発、導入して、工夫の改善に努めたものであるが、前記第三の三の認定事実に掲記の各証拠を総合すれば、それは、主として、技術革新により建造工期と工数を大幅に減少させ、国際競争力を高めることに目的があり、騒音防止対策としてこれらの改善を行なつたものではないことが明らかである。

しかも右各証拠を総合すれば、被告神戸造船所における工法改善の経過については、全体的には騒音減少が進行したものの、部分的には相当遅くまで激烈な騒音作業が残されたばかりでなく、溶接法の大量の導入により、チッピングハンマーによる裏溝ハツリや溶接コブハツリが増大し、騒音作業が増大した面があつた。そして、右チッピングハンマーによるハツリについては、遅くとも昭和三〇年代前半にはアーク・エア・ガウジングやガス・ガウジングが導入されており、それらへの転換が可能であつたのに、昭和四〇年代後半まで転換は完了していない。被告は、昭和四四年頃、漸くチッピングハンマーによる騒音絶滅対策に取り組んだけれども、それ以前には、騒音減少を正面に掲げた取り組みが行なわれた形跡はみられない。また、遮音板の設置等の問題にしても、技術上の困難さがあることは認められるものの、どの程度の措置が可能であり、また効果があるかという点について、技術者も含めて具体的に検討されたことはなく、もとより騒音処理技術の向上や技術者の養成に向けて努力が払われた形跡もない。その結果、工法改善後も、許容基準を越えるような騒音が残存していたことは前記第三の四の2ないし5に認定したとおりである。

以上の諸点に、被告は神戸造船所が強烈な騒音職場であり、難聴患者が多数発生していたことを当然認識していたものと認められること、環境改善は騒音性難聴防止のために最も基本的な対策であること、一方、防音用耳栓による防止対策は、必らずしも万全の効果を期待できるものでないこと前記三の3認定のとおりであることを考慮すれば、被告の行なつた環境改善面における前記措置対策は、その要求される水準(問題となる時点における技術上可能な最善の対策を行うこと)を考慮しても、前記三の2に揚げた環境改善事項を履行していたものとは認め難く、かつ、本件全証拠によるも、問題となつている時点において、その履行が技術的に不可能であつたとの事実を確認することができないから、被告には、この点の安全配慮義務の違反があつたものというべきである。

2  騒音の測定、防音保護具の支給、着用、作業者への衛生教育、聴力検査面での対策

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

(一) 騒音測定について

被告は、昭和二六年に造船工業会衛生部会の調査に協力し、被告神戸造船所内の騒音を測定した。次いで、昭和二八年には、被告神戸造船所衛生課において騒音分析器一式(日本電子測器(株)製NA−1B型)を購入し、昭和三〇年ころから、被告神戸造船所の現場作業場の全般にわたつて、一定の測定点を設けて、騒音測定を行つてきた。

右の測定にあたつては、昭和三三年までは環境衛生を担当する衛生課の課員が行つていたが、昭和三三年からは職場から選出された衛生管理士及び同補助員にも測定を行わせることとなり、衛生管理士補助員には騒音測定法についての教育も実施した。

このようにして得られた測定結果は、耳栓の支給・装着指導等にあたつて利用された。

(二) 聴力検査について

昭和二五年には、三菱神戸病院耳鼻科がオージオメーターを購入し、翌二六年には聴力検査のために同病院に防音室を設け、また同年に造船工業会衛生部会の調査に協力して、同病院において被告神戸造船所従業員の聴力検査を実施した。

更に、昭和二八年には、被告神戸造船所衛生課もオージオメータを購入し、聴力検査を実施するようになつた。

検査の対象は八五ホン以上の騒音作業場で常時(一日三時間半以上)就業する者であり、検査方法は、レコードに吹き込んだ話し声、時報などを聞かせるスクリニング・テストを行ない、その結果から医師が判定して精密検査を行うというものであつたが、昭和四八年からはオージオメーターで三〇dB以上の聴力損失があるものにつき精密検査が行なわれた。

しかし、社外工については右聴力検査の対象とされず、また本工の対象者であつても、三年に一度の割合で実施されたにすぎなかつた。また、聴力検査の結果、聴力障害が認められた者に対しては、耳栓の装着が強く指導されたが、配置転換や就業時間(騒音曝露時間)の短縮等の措置はとられなかつた。

(三) 耳栓の支給

被告神戸造船所では、昭和二六年ころ、恩地式耳栓が開発されると、これを購入し、さらに昭和三〇年に耳栓のJIS規格に適合する労研式耳栓を購入し、騒音作業従事者に対して支給してきた。

右労研式耳栓の遮音効果は、製造元のパンフレットによると次のとおりである。

周波数

JIS第一種型

JIS第二種型

五〇〇

一五dB

九dB

一〇〇〇

一七・五dB

二〇dB

二〇〇〇

二七dB

三二dB

三〇〇〇

三五dB

三五dB

耳栓の支給基準は、八五ホン以上の騒音職場で作業する者を対象とし、半年に一度ずつ各職場から請求のあつた個数を支給するという方法によつていたが、社外工に対しては支給されなかつた(職場によつては、責任者の判断で社外工にも支給されたケースがあつたようである)。耳栓支給個数は、次表のとおりである。

耳栓支給個数表

年代

支給個数

昭和 30年~32年

記録喪失

33年 1月~ 同 12月

3,393個

34年 1月~ 同 12月

5,101〃

35年 1月~ 同 12月

5,697〃

36年 1月~ 同 12月

9,907〃

37年 ~38年 3月

記録喪失

38年 4月~39年 3月

3,912個

39年 4月~40年 3月

3,230〃

40年 4月~41年 3月

3,668〃

41年 4月~43年 9月

記録喪失

43年10月~44年 3月

2,333個

44年 4月~45年 3月

6,515〃

45年 4月~46年 3月

6,088〃

46年 4月~47年 3月

9,528〃

47年 4月~48年 3月

4,465〃

48年 4月~49年 3月

5,897〃

49年 4月~50年 3月

2,049〃

50年 4月~51年 3月

3,596〃

51年 4月~52年 3月

5,080〃

52年 4月~53年 3月

6,165〃

53年 4月~54年 3月

4,641〃

そして、以上のように支給された耳栓につき、被告神戸造船所においては、次のとおり、

① 衛生巡視(パトロール)

② 耳栓装置標識の掲示

③ 三分間安全衛生教育(朝礼)

④ 衛生保護具研修会(懇談会)

⑤ 視聴覚教育

⑥ 神船時報(被告神戸造船所の社内報)によるPR

⑦ 全国労働衛生週間における行事

⑧ 各種配布物

⑨ 新入社員教育

等の各種の機会・方法を通じて、耳栓の装着について種々指導・啓蒙を行つた。

(四) 社外工に対する衛生管理

社外工の衛生管理に関しては、被告神戸造船所構内で作業を行う下請業者が、自主的団体である「安全協力会」(昭和四四年以降は「三菱神船協力会」)を組織し、衛生懇談会、衛生研修会等を開催して、衛生管理面での協議や教育を行なうほか、作業現場の巡視、安全衛生手帳の配布等の活動を行なつている。

被告は、右協力会に対し、講師派遣等の援助協力を行うほか、右協力会を通じ、下請各社に耳栓の支給をするよう指導し、また、前記衛生巡視、三分間安全教育等で社外工に対しても耳栓の装着指導を行なつた。

しかし、後記各論で認定するとおり、下請各社の社外工に対する耳栓支給は、本工と比較して、時期的に遅く、数量も十分でなかつたとみられ、また、聴力検査についてはほとんど行なわれていないのが実情であつた。

(五) まとめ

以上を要約すれば、被告は、騒音測定に関しては、戦後の比較的早い時期から騒音測定器を購入し、年に一回、最近では月に一回騒音測定を実施してきたこと、耳栓の支給・装着指導に関しては、右騒音測定の結果八五ホン以上の騒音を発生する職場の従業員(ただし本工のみ)に対し、JIS規格に適合する耳栓を支給し、掲示板、印刷物、パトロール等様々な手段を用いて装着指導を行なつてきたこと、聴力測定に関しては、右騒音職場の従業員(本工のみ)に対し、概ね三年に一回程度の頻度で聴力測定を実施し、聴力低下が認められる者に対しては耳栓の装着を強く指導してきたが、就労時間短縮や配置転換等の措置は行なわなかつたことが認められる。

以上の事実に基づき検討するに、被告は、衛生面の対策としては、耳栓の支給及び装着指導を行うことが主要な対策であるとの理解のもとに一定の施策を行なつてきたこと、騒音測定及び聴力測定も、右耳栓支給・装着指導を万全にする目的で行なわれてきたことが明らかである。

しかしながら、前記三の3の(三)において検討したところによれば、耳栓の支給、装着指導を行なうだけでは、騒音性難聴の防止対策として十分なものとはいい難い。

まず、騒音測定については、第一次的に環境改善の資料として用いられるべきところ、被告において環境改善の取り組みが万全であつたといい難いことは前記1のとおりである。また、聴力測定については、被告の職場環境に照らせば、少なくとも年一回以上実施し、聴力低下が進んだ者や高感受性者とみられる者の早期発見とその罹患者に対し、配置転換や就業時間短縮の措置をとるべきである。しかるに、被告は、聴力検査を三年に一回の割合(各従業員につき)で行なつたにすぎず、配置転換や就業時間短縮の措置は全く行なつていないというのであるから、この点でも、被告の措置は十分ではない。

また、社外工に対する衛生管理については、被告と社外工との間に事実上の使用従属関係が認められる以上、社外工に対しても本工と同一のレベルの施策が行なわれなければならないというべきであり、たとえ被告が下請会社に対し万全の衛生管理を行なうよう指導していたとしても、下請会社において現実にそのような施策を行なつていないのであれば、その事実を知り、または知り得べかりし限り、被告において安全配慮義務違反の責任を免れることはできない。そして、前記認定事実によれば、社外工に対しては聴力検査がほとんど行なわれておらず、耳栓の支給、装着指導さえ不十分であつたというのであり、また職場に照らし被告においてその事実を知り得べきものであつたと推認されるから、この点での被告の安全配慮義務違反も明らかである。

五不法行為責任について

1 前記第二及び第三の認定事実によれば、被告は、一般的な騒音の許容基準とされる八五ホンないし九〇ホンを超える騒音を発生させる職場において、原告ら従業員の全部又は一部(具体的な騒音被曝状況は後記各論において認定するとおりである。)を作業に従事させたものであり、このような場合、原告ら従業員に騒音性難聴が発生するおそれがあることは、当然予想できたことがらである。したがつて、被告としては、原告ら従業員に対し、騒音性難聴を防止するために万全の方策をとるべき注意義務があるものというべきであり、右注意義務の内容は前記三の4に認定の安全配慮義務の内容と同一のものと解するのが相当でる。

2 そして、前記四で検討したところによれば、被告の行なつてきた騒音性難聴防止対策は、右注意義務の履行として十分ではなかつたものであるから、これは、被告の注意義務違反すなわち過失と評価すべきであり、したがつて、被告は、原告ら従業員が被告における騒音作業により騒音性難聴に罹患したとすれば、不法行為にもとづきその損害を賠償すべき責任がある。

3  被告は、本件原告ら従業員の被害は、受忍限度の範囲内であるから、被告の行為(騒音職場において作業に従事させたこと)には違法性がないと主張する。

しかしながら、騒音性難聴は聴覚器官に器質的損傷を与えるところの疾病の一つであり、単なる不快感、迷惑という程度の精神的苦痛にとどまるものではなく、人間の最も重要な権利である身体・健康に対する侵害なのであるから、故意又は過失にもとづくそのような侵害行為は、他に格別の違法性阻却事由が存在しない限り、原則として違法性があるものと解すべきである。

六免責(違法性阻却)事由について

1  不可抗力の主張について

被告は、前記工法の変更等によつて被告神戸造船所における騒音は著しく減少したものであり、かつ前記衛生面における対策ことに耳栓の支給及びその装着指導等をなしたものであるから、被告のとるべき措置としてはこれらで十分であり、これらの措置にもかかわらずなおかつ騒音性難聴が発生したとすれば、それは不可抗力であると主張する。

なるほど、被告が工法の変更及び衛生面の対策において、騒音性難聴防止のための一定の施策を講じてきたことは認められる。しかしそれが、安全配慮義務ないし注意義務の履行として被告に要求される水準の騒音性難聴防止対策として十分なものでなかつたことは前記検討のとおり、原告ら従業員に対する騒音性難聴が不可抗力によるものとはなし難い。

2  危険への接近の主張について

被告は、原告ら従業員は、いずれも被告神戸造船所が騒音職場であつて危険が存すること及び損害の発生を認識しながら、あえて被告神戸造船所又はその下請企業に就職して被告神戸造船所構内で稼働するに至つたり、あるいは右の危険等を認識しながら、あえて就労を継続したものであつて、不法行為責任に関しては違法性を欠き、債務不履行責任に関しても信義則上、原告ら従業員はこれによつて生じた被害を理由として損害賠償の請求をすることは許されないと主張する。

思うに、ニューサンスへの接近の理論は、ニューサンスに限らず、いわゆる危険への接近として他の分野においても適用される場合もあるが、労働関係には、適用がないものと解すべきである。けだし、かつて労災事故の発生した企業であつても、今後同事故が発生しないことを期待して、使用者、労働者間に労働契約が締結されるものであつて、同契約では、労働者が自己の生命、身体の危険まで使用者に提供しているものではない。そして、右契約後においては、使用者には労働者の労働環境を整えて、安全に就労させるべき義務があり、したがつて、労災事故の発生を防止すべき第一次責任は使用者にあるから、労災事故が発生した場合、使用者が労働者に対して、危険への接近の法理をもつて、自己の責任を阻却、軽減する事由とすることは、右第一次責任を没却させる結果となり、社会通念上、信義則上許されないと解されるゆえにである。また、労働者は、自己の意思によつて使用者と労働契約を締結した以上、使用者に対してみだりに損害をかけないという災害防止の第二次責任があり、自己に労災事故が生じた場合、右第二次責任を問われてその損害につき過失相殺されるときもあるけれども、元来労働契約は継続して互いに遵守すべきものである関係上、労働者は、就労中にその職場にとどまつておれば労災事故にあうかも知れないことをうすうす予知し得ても、労働組合による団結権行使以外に個人的にはその職場から勝手に離脱したり、就労を拒否することができないから、危険への接近という法理によつてその損害額を軽減されることがないものというべきである。以上の理論は、元請会社が下請会社の従業員に対して直接に使用者責任を負う場合にも適うものである。

ちなみに本件の場合、前記第三に認定した被告神戸造船所における騒音作業の状況からすれば、原告らは、被告神戸造船所が騒音職場であることを知つて、被告又はその下請会社に入社したことが推認されるが、難聴にかかることまで認識しながら、あえて右入社をしたとの事実は、全証拠によるもこれを確認することができない。

よつて、被告の前記主張は理由がない。

第六損害について

一慰藉料

1  原告らは、難聴になつたことによる精神的苦痛に対する慰藉料のほか、再就職の途が閉ざされたことによる逸失利益相当分をも含めて、これらの合計額を慰藉料の名目で主張しているかのごとくでもあるが、再就職の途を閉ざされたことによる逸失利益そのものを慰藉料として算定するのは相当でないから、原告らの慰藉料請求は右の再就職の途を閉ざされたことによる逸失利益に相当する部分を含まないものと解すべきである。

2  慰藉料の算定にあたつては、原告らの聴力障害の程度を基礎とすべきである。

ところで、労災保険における騒音性難聴の障害等級認定にあたつては、労働省通達の障害等級認定基準により平均純音聴力損失値の算定方法として前記の六分法が採用されているところ、被告は、聴力障害の評価方法として六分法は妥当でなく、四分法によるべきであると主張する。

しかしながら、〈証拠〉によれば、語音帯域の聴力損失値の算出法については、語音帯域の中心的周波数が五〇〇ないし二〇〇〇HZであるとされているから、日常会話に影響のない四〇〇〇HZの聴力損失値を考慮する六分法は妥当でないとする見解も有力であるが、一方で、言語音中の有用なエネルギーは約二〇〇HZから六一〇〇HZの範囲にあるとの見解、また言語スペクトル中の等識別点は約一六〇〇HZであり、それ以上の周波数とそれ以下の周波数とは言語の理解に対して等しい重要性を持つているとの見解もあること、また、二〇〇〇HZ以上の周波数音は、日常会話に大きな影響がないとしても、機械の故障を発見したり、音楽を観賞したりする場合など、社会生活上高周波音域での聴力が重要となる局面もあることから、騒音性難聴の補償の観点からは、高周波音域に対する聴力を保護する必要があるとも指摘されていること、労働省は、昭和三四年ころ、従来採用していた四分法を六分法に改めたものであるところ、それにあたつては、右のような専門家の意見を参考にしたものであること、その後も労災保険審議会に設けられた「難聴専門家会議」「障害等級専門家会議」における審議によつても、六分法式が維持されていることが認められる。

右事実によれば、財産的損害に対する補償を目的とする労災保険の運用においても、社会生活上、高周波音域における聴力損失を無視することができないとされているものであるから、非財産的損害の賠償を求める本件訴訟においては、なおさら六分法式をもつて評価するのが妥当であると思料する。

3  寄与分の控除等

さらに、原告らの聴力障害を評価するにあたつては、以下のような、被告における騒音曝露以外の原因による聴力低下分は、相当因果関係の範囲に含まれないものとして、これを控除すべきである。

(一) 他の疾患(中耳炎等)による聴力低下分

(二) 他の職場・兵役等における騒音曝露による聴力低下分

(三) 加齢にもとづく聴力低下分

なお、右(三)の加齢にもとづく聴力低下分については、現代医学の現状では、多数の者の平均的聴力損失値を算出することは可能であつても、騒音性難聴患者の個人個人につき、どこまでが騒音による聴力低下であり、どこまでが加齢による聴力低下分であるかの判定は不可能であることは前記のとおりである。

しかし、このような場合、当該患者の聴力低下のすべてが騒音によるものであるとみなすことも、逆に、すべてにつき騒音によるものであるとの証明がないとすることも、公平の見地から妥当でない。したがつて、原告ら従業員の聴力損失値から加齢による日本人の平均的聴力損失値を控除し、その残りを騒音による聴力損失値と認めるが相当である。

二弁護士費用

債務不履行による損害賠償請求において、賠償請求訴訟追行のために要した弁護士費用を右不履行と相当因果関係のある損害として請求しうるかは、一の問題であるが、少なくとも本件のように安全配慮義務違反に基づいて損害賠償を請求する場合には、その実質は不法行為に基づく損害賠償請求と近似するから、弁護士費用の相当因果関係についてこれを別異に扱う合理性を見出しえず、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求においても、右請求訴訟追行のために要した弁護士費用を安全配慮義務違反と相当因果関係を有するものとして請求しうるものと解すべきである。

弁論の全趣旨によれば、本件において、原告らが弁護士に訴訟追行を委任し、着手金及び報酬の支払を約したことが認められるところ、各原告ごとの弁護士費用は、本訴の難易、認容額その他の事情を斟酌して決定することとする(各論でこれを記述する)。

第七過失相殺について

一耳栓の不装着

原告ら従業員が耳栓の支給を受けた状況及びその着用状況は後記各論において認定するとおりであるが、原告ら従業員において、耳栓を常時、完全に着用して、自らの耳を防禦していたとは認め難い。

ところで、耳栓の遮音効果は前記のとおり高音域で三〇dB前後であり、これを適切に着用すれば、騒音性難聴を完全には防止できないとしても、その進行程度を相当に抑えることができるものである。一方、原告ら従業員は、被告神戸造船所が騒音職場であり、騒音性難聴が発生するおそれがあることを認識していたものであり、耳栓の装着指導も一応受けていた(社外工に対しても若干の装着指導はなされていたようである。)のである。

このような場合、原告ら従業員にも、耳栓を装着して自己の健康を保護すべき責任の一端があるものというべきであり(労働安全衛生法二六条、同規則五九七条参照)、これを装着しなかつたことについては、耳栓の適合性等、従業員の側の責に帰すことのできない事情も少なからずあつたとはいえ、やはり従業員の側に騒音性難聴に対する認識、自覚が十分でなかつたという面があることは否定できず、この点は過失相殺の事由として慰藉料の算定にあたり斟酌するべきである。

二危険への接近

原告ら労働者の側に、騒音を知りつつ、被告神戸造船所で就労したとの事情があつたとしても、労働関係の特質に鑑み、週失相殺の対象とすべきでないことは、前記第五の六、2に述べたとおりである。

第八損益相殺の主張について

被告は、原告らが受領した

①  障害補償一時金

②  障害補償年金

③  障害特別支給金

④  障害特別年金

⑤  会社の上積み補償金

を原告らの損害(慰藉料)から控除すべきであると主張するので、この点につき検討する。

一障害補償一時金、障害補償年金

まず、①の障害補償一時金及び②の障害補償年金については、いずれも労働者の業務災害に関する保険給付の一である障害補償給付であるが(労災保険法七条一項一号、一二条の八第一項三号、一五条一項)、これら労働者に対する労災保険法上の災害補償は、労働者の被つた財産上の損害の填補のためにのみなされるものであつて、精神上の損害のに填補の目的を含むものではないから、前記①②の各労災補償金は原告らの財産上の損害の賠償請求権にのみ充てられるべき筋合のものであつて、原告の慰藉料請求権には及ばないものというべきである。したがつて、原告らが右各補償金を受領したからといつて、その全部ないし一部を原告らの被つた精神上の損害を填補すべきものとして認められた慰藉料から控除することは許されない。

二障害特別支給金、障害特別年金

③の障害特別支給金及び④の障害特別年金については、労災保険法一二条の八に規定する保険給付ではなく、(したがつて、労働基準法八四条一、二項の適用もないと解される。)、労災保険法二三条の規定に基づき、政府が、労災保険の適用事業に係る労働者の福祉の増進を図るため、被災労働者の援護を図るために必要な労働福祉事業(同法一項二号)として行うものであり、労働者災害補償特別支給金支給規則(昭和四九年労働省令第三〇号)によつて、政府から支給されるものであるから、労働災害により労働者が被つた損害の填補を目的とするものではない。

原告らの損害額を算定するにつき、これを損益相殺等の法理によりその損害額から控除することはできないものと解するのが相当である。

三会社の上積み補償金

⑤の被告の支給した上積み補償金の性格については〈証拠〉によれば、被告は、労働組合の要求に基づき、労災保険給付の不十分なところを企業が独自に上積み給付を行うことにより、これを補充するという考え方に立つて、昭和四七年七月一七日、業務上災害による障害見舞金制度を新設し、労災保険法に定める障害等級に応じた金員を支給することとなつたこと、その後、名称が障害特別補償金と変更されたことが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。したがつて、⑤は、労災保険法の災害補償給付(前記①②)の補充として行われるものであつて、その支給も右災害補償の等級に従つて行われるのであるから、これと同様の趣旨をもつものとして設けられたものというべきである。

そうとすれば前記のとおり、労災保険法の災害補償給付は労働者の被つた財産上の損害を填補するためのものと解される以上、会社の上積み補償金も、また、同様のものと理解すべきであつて、精神的損害の慰藉料から控除するのは相当ではない。

第九時効

一起算点について

1  安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権債権の消滅時効の起算点は、「権利を行使することを得る時」(民法一六六条一項)からであるが、右の「権利を行使することを得る時」とは、単に権利行使に法律上の障害がないというだけでなく、権利の性質その他から、権利行使が現実に期待できる時をいうと解するのが相当である。

ところで、一般に、債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効については、本来の債務の履行期が右の起算点に該当するものと解されるから、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権についても、安全配慮義務違反による事故が発生した時点(その時点が具体的な安全配慮義務の履行を請求しうる履行期と考えられる)をもつて消滅時効の起算点というべきである。

しかしながら、本件のように一回限りの事故ではなく、騒音被曝という継続的な安全配慮義務違反が問題とされ、かつそれによる被害も騒音被曝開始後一定期間を経過してから発生し、被曝期間の増加につれて進行する性質のものである場合には、消滅時効の起算点は、継続的な安全配慮義務違反の終了時点か、被害者が聴力障害を自覚した時点かいずれかの遅い時点をもつて起算点と解するのが相当である。けだし、継続的な安全配慮義務違反が存在する限り、被害者は本来の安全配慮義務の履行を請求しえるものであるから、その間は本来の履行期が到来しないものというべきであり、また、被害者が聴力障害を自覚していない場合には、損害賠償請求権の行使を現実に行使することが期待できないからである。

これを本件にあてはめると、本件の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、原告ら従業員が被告又はその下請会社を退職し、騒音職場を最終的に離脱した時点か、あるいは原告ら従業員が聴力障害を自覚した時点か、いずれか遅い時点から進行するものというべきである。

なお、原告らは、原告ら従業員が労災認定を受けた時点ではじめて難聴が被告の行為によつて惹起され、損害賠償請求をなし得るものであることを認識しえたものであるから、右時点において権利行使が現実に可能になつたというべきであり、これをもつて消滅時効の起算点とすべきであると主張する。

しかしながら、既に認定した被告における騒音レベル、被告において騒音性難聴患者が発生していたこと、従業員らも騒音被曝を受ければ、あるいは自己も難聴になる場合があることを知り得たはずであることその他の事情を総合考慮すれば、原告ら従業員は、労災認定をまつまでもなく、騒音職場を離脱し、かつ聴力障害を自覚した時点で、その聴力障害が騒音被曝によるものであることを認識しえたものであり、その時点以後には権利行使が可能であつたというべきであるから、原告らの主張は採用し難い。

2  不法行為に基づく損害賠償請求権

不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、「損害及び加害者を知りたる時」(民法七二四条)から進行するところ、本件のように継続的な不法行為については、少なくとも原告ら従業員が騒音職場に在籍する限り不法行為が継続するものというべきであるから、その期間は消滅時効は進行しない。

そして、前記1で述べたとおり、原告ら従業員が聴力障害を自覚した場合、それが被告における騒音被曝によるものであることは、当然認識しえたというべきであるから、本件における不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の場合と同様に、原告ら従業員が騒音職場を離脱した時点か、あるいは聴力障害を自覚した時点のいずれか遅い時点から進行するものというべきである。

二一〇年進行停止説について

被告は、第一次的に、騒音性難聴は、騒音曝露開始後一〇年で完成し、以後は同レベルの騒音にさらされても進行しないことが医学上認められているとして、原告らが被告神戸造船所で就労を開始したときから一〇年で原告らの聴力障害は固定するから、右の時点から時効が進行し、債務不履行に基づく原告らの損害賠償請求権は、右の固定時から一〇年(就労開始時から二〇年)で時効により消滅し、不法行為による損害賠償請求権についても右の固定時から三年で時効消滅すると主張する。

しかしながら、前記第二の三に認定のとおり、騒音性難聴の進行は騒音曝露開始後一〇年以内に速やかに進行し、一〇年を越えると非常に緩慢ではあるけれども全く停止するものではなく、概ね二〇年を経過すれば進行を停止するがなお個体差を無視できないものと認められ、現在の医学的知見上、一〇年で完全に進行が停止すると断定できない以上、就労後一〇年経過した時点をもつて起算点とすることはできないというべきである。

三中途退職者について

原告ら従業員の中には、下請工又は本工として被告構内で一定期間就労した後に一旦退職し、数か月又は数年経過してから再び下請工又は本工として被告構内で就労するに至つた者が存在する。

しかしながら、一旦中途退職した場合においても、従前の騒音作業によつて引き起こされた聴力障害はそのまま存続するのであり、その後再び被告構内で就労し、再度騒音被曝を受けることにより聴力低下が再び進行し、最後の退職時又は騒音職場を最終的に離脱した時点で、聴力低下は完全に停止し、症状が固定するものというべきである。このように騒音性難聴の聴力低下は累積的・重畳的に生ずるものであるから、現在の症状として生じている聴力低下のうち、中途退職前の部分と再就職後の部分とを截然と区別することは通常不可能であり、損害として不可分一個というべきである。

一方、中途退職後に再び被告構内で就労する場合でも、通常は職場環境や騒音状況において大きく異なるところがなく、安全配慮義務の内容、あるいは不法行為法上の注意義務の内容も基本的には同一である。

そうすると、中途退職前の騒音曝露と再就職後の騒音曝露とは、社会的にみれば全体として不可分一個の不法行為を構成し、各別には消滅時効が進行しないものと解するのが相当である。また、これを安全配慮義務違反として構成する場合でも、中途退職の前後で雇傭契約としては形式上別個といわざるを得ないけれども、安全配慮義務を発生させる根拠となる法律関係としては基本的に同一であり、中途退職の前後を通じて社会的に不可分一個の行為というべきであり、不法行為におけると同様、各別に消滅時効は進行しないと解するのが相当である。

もつとも、中途退職前の騒音曝露により聴力低下が現実化して聴力障害の自覚を生ずるに至り、かつ中途退職期間が五、六年以上の相当長期間に及ぶような場合には、中途退職前の騒音曝露は社会的にみて別個の行為と評価する余地がないでもないけれども、第二編各論で検討するとおり、このような場合に該当する原告は存在しない。

四原告らの再抗弁について

1  時効中断

原告らは、被告が原告らの一部に対し、企業内上積み補償金を支払つたことが、債務の承認に該当すると主張するが、右上積み補償金は、業務上の災害につき使用者の過失無過失を問わず支給される労災保険金の不足額を補う趣旨で支払われるものであるから、その性質上、障害の補償であつて、損害賠償債務の履行として支払われるものではない。

したがつて右支払をもつて債務の承認と認めることはできない。

2  時効援用権の濫用

原告らは、被告が消滅時効を援用するのは援用権の濫用であると主張する。

しかし、被告において原告らの損害賠償請求権の行使を妨害した等の事実は、これを認めるに足りる証拠はない。一方、原告らの受けた被害の性質、程度、本件訴訟に至るまで権利行使をしてこなかつた事情その他諸般の事情を考慮しても、被告の時効援用が援用権の濫用であると認めることはできない。

第二編各 論

第一原告平本良国

一経歴〈省略〉

二被告入構以前の作業歴等について

右争いのない経歴に、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告平本は、青年学校卒業後、昭和七年から同二一年までの間(前記兵役期間を除く)、石材採取販売業の手伝いあるいは自営として石材採取作業に従事した。作業内容は、ハンマー、のみ等を用いて岩盤に穴をあけて岩盤を崩し、石塊を割る等の作業であつた。

また、右期間中の昭和一五年には、海軍の軍属として数か月間採石場で勤務したことがあるが、その際には、ダイナマイトを用いて岩盤を崩す作業にも従事した。

2  同原告は、昭和二七年から同三七年までの間、県道の砂防及び土木工事に従事した。

右工事は、県道沿いに堰堤を築くものであつたが、作業の中には、ダイナマイトを用い、あるいはハンマー、のみ等で岩盤を崩す作業も含まれていた。

3  その後、同原告は、昭和三七年から約一年間は関ケ原石材株式会社において、また昭和三八年から約三年間は自営として、石材採取作業に従事したが、前者においては黑色火薬が用いられており、後者においてはチッピングハンマーが用いられることもあつた。

4  以上のように、原告平本は昭和七年から昭和四一年頃まで、若干の兵役期間を除き、石材採取作業又はこれに類似する土木作業に従事してきたものであるところ、石材採取作業は、昭和三四年の労働省の実態調査においても騒音作業の一つとして調査対象とされていたものである。そして、同原告の従事していた作業の多くは、ハンマー、のみ等を用いる手作業であつたものの、それらも一定の騒音を発生する作業であり、また、同原告は、ダイナマイトによる爆破作業やチッピングハンマーによる砕石作業にも従事しており、これらにより一定の騒音被曝を受けた。

5  同原告は、昭和五二年七月に被告神戸造船所衛生課の実施した聴力検査を受けたが、その際、「難聴調査票」(乙第六号証の一、二)の過去の騒音作業歴欄に、「自営業」「昭和三四年から昭和四二年まで」と記載し、また、既往症欄の「爆音障害」の項目に丸印を付けている。

三被告における作業歴と騒音被曝状況

原告平本が昭和四二年六月に共栄工業に入社したこと、入社時から昭和四五年までは被告神戸造船所鋳造課I棟において鋳鋼製品の整品(仕上げ)作業に従事したこと、昭和四五年以降昭和五二年一一月に休職するまでは同課E棟において鋳鉄製品の整品作業に従事したことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告平本は、昭和四二年六月(五四歳当時)に被告の下請会社である共栄工業に入社し、昭和四五年までは鋳造課I棟で、昭和四五年以降は同課E棟で勤務した。共栄工業は、I棟では鋳鋼製品の、E棟では鋳鉄製品のそれぞれ整品(仕上げ)工程を請負つていたが、作業内容はいずれも、鋳物の砂落し及びハツリ(バリ取り、表面仕上げ)作業であり、使用工具はチッピングハンマー、グラインダー、大ハンマー等が用いられていた。

2  同原告は、共栄工業入社当時は火造り作業(タガネ等の工具に焼き入れをして補修する作業)にも従事したが、主としてはチッピングハンマーによるハツリ作業に従事した。チッピングハンマーによるハツリ作業は、共栄工業がE棟に移転した昭和四五年以降も減少することなく、従前同様に行なわれていた模様であり、圧搾空気は被告から供給されていた。また、右ハツリ作業の中には、鋳物の製品の中に入つての作業や、改造船の機関部分での作業等、狭い場所での作業も含まれていた。

同原告は、右ハツリ作業により、相当の騒音の曝露を受けた。

3  共栄工業では、原告平本が入社する以前から、現場責任者(ボーシン)が耳栓を神船協力会から購入し、作業員に配付し、また現場にも適宜備え置くという方法で耳栓を支給していた。同原告は、耳栓を装着するように心掛けていたが、作業中に耳栓がはずれたり、備え置きの耳栓が切れていたりする場合があり、装着状態は万全ではなかつた。

四聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  原告平本は、昭和四八年頃から人の話が聞こえにくくなるなど、聴力低下を自覚し、昭和五二年九月頃から耳鳴りも覚えるようになつた。

2  同原告は、昭和五二年一一月一六日、騒音性難聴により労災認定を受けた(この事実は当事者間に争いがない)が、認定された聴力障害の程度は、平均純音聴力損失値が右六三dB、左六二dB、語音最高明瞭度が右七三%、左七五%であり、障害等級は、労災保険法施行規則別表第一の障害等級表(以下、「障害等級表」という)における、第七級の二(「両耳の聴力が四〇センチメートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になつたもの」)である。

3  同原告に関しては、昭和五三年三月一七日に東神戸病院附属西診療所で受けた聴力検査結果(オージオグラム)が存するが、同結果によれば、平均純音聴力損失値は右六〇・八dB、左四六・七dB、語音最高明瞭度は右八〇%、左八〇%である。また、オージオグラム上においては、気導聴力と骨導聴力に若干の差(一〇〇〇HZ以下の音域では一〇ないし三〇dB)がみられる混合性難聴の特徴を示しているが、骨導聴力の低下も顕著であり、全体のパターンは、高音域における聴力低下がより顕著な高音漸傾型を示している。

五因果関係

ハツリ作業の騒音レベルについては、被告神戸造船所におけるものではないが、次のような騒音測定結果が発表されている。

(1)  甲B第三号証 一一四〜一一六ホン(地上組立ハツリ)

(2)  甲B第一〇号証 九五〜一一〇ホン(鋳造ハツリ)

(3)  甲B第二〇号証 一〇二〜一一六・五ホン

右測定結果によれば、チッピングハンマーを用いるハツリ作業が平均的にも一〇〇ホンを超える強烈な騒音作業であることは明らかであり、原告平本はそのような作業に一〇年近く従事してきたことが認められる。

一方、原告平本の聴力像を検討すると、前記オージオグラムにおいては、若干の気導骨導聴力差が存在し、伝音難聴による聴力低下が存在することが認められるものの、その程度はわずかであり、基本的には感音性難聴であることが明らかであり、また騒音性難聴の特徴である高音漸傾型を示している。

そして、同原告については、被告神戸造船所入構以前の石材採掘作業等により騒音被曝を受けていたことが認められるけれども、右作業の多くは手作業であつて騒音の程度は必らずしも大きくなかつたとも考えられるし、チッピングハンマーを使用していた頻度、期間も、被告神戸造船所における作業と比較すれば少なかつたものと認められる。そして、同原告が聴力障害を自覚した時期が共栄工業に入社して約六年後であることも考慮すると、同原告の聴力損失の全てが被告入構以前の騒音作業によるものであるとは考え難い。

以上によれば、原告平本の聴力障害と被告における騒音被曝との間には、相当因果関係があると認めるのが相当である。

六損害

1  慰藉料

原告平本の聴力損失値については、労災認定の際に測定されたものと東神戸病院附属西診療所で測定されたものとで若干異なつているけれども、後者の数値がより正確であると認めるに足りる証拠はないから、労災認定における数値を基準として、損害を算定すべきである。

次に、前記認定事実によれば、同原告の聴力損失値のなかには、次の部分が含まれていると認められる。

(1) 被告神戸造船所入構以前の石材採掘作業等の騒音によつて生じた聴力低下分

(2) 伝音難聴による聴力低下分

(3) 加齢による聴力低下分

同原告が労災認定を受けたのは年齢が六四才の時であるところ、乙B第五〇号証の九によれば、同年齢における日本人の加齢にもとづく平均的聴力損失値は一六・三dB(六分法)前後であることが認められる。

そして、原告平本が被告神戸造船所において従事した作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、原告平本の聴力損失値から右(1)ないし(3)の聴力低下分を控除すれば、原告平本の聴力損失値のうち、被告における騒音被曝と相当因果関係がある部分(寄与分)は四割と認めるのが相当である。

右の点に、〈証拠〉にあらわれた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情一切を総合考慮すれば、本件により原告平本の受けた精神的苦痛を慰藉するための金額としては、金二〇〇万円をもつて相当と認める。

2  弁護士費用

金二〇万円をもつて相当因果関係のある損害と認める。

七時効

第一編第九で述べたところによれば、原告平本の被告に対する債務不履行及び不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、同原告が被告神戸造船所鋳造課E棟勤務を最後に休職した前記昭和五二年一一月から始まるものであるところ、同原告は、その消滅時効がいずれも完成していない昭和五四年七月四日本訴を提起したこと記録上明らかであるから、消滅時効に関する被告の主張は理由がない。

第二原告星野吉次郎

一経歴〈省略〉

二被告入構以前の作業歴

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、原告星野は、昭和一四年(三一歳当時)から昭和二二年まで神戸井手船舶に勤務したが、この間の昭和一六年までは現場作業員として、昭和一八年までは現場監督として新造船等の塗装作業に従事したこと(昭和一八年以降は取締役に就任して渉外業務を担当)、昭和二三年三月から同年八月までは、自営業者として三光造船神戸工場において塗装作業等に従事したことが認められ、かつ、第一編で認定した戦前及び戦後まもなくの造船所の騒音実態に照らせば、同原告は右期間内に一定の騒音曝露を受けていたものと推認される。

三被告における騒音作業の状況

原告星野が富士産業入社後、昭和三〇年頃から昭和三五年頃までの間、船台において新造船の基礎特殊塗装の作業に従事したこと、昭和三五年以降は新造船の仕上げ塗装作業に従事したことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告星野は、昭和一三年から一四年までの間、鈴木組に勤務し、被告神戸造船所において塗装作業に従事し、さらに神戸井手船舶退職後の昭和二二年から昭和二五年までの内約八か月間、富士産業(又はその前身の前田工業所)の臨時工として被告神戸造船所において塗装作業に従事した。作業内容は、後記2ないし4と概ね同様である。

2  同原告は昭和二五年七月(四二歳当時)に富士産業に入社(本工)し、昭和二九年頃まで、主として修繕船の錆落しあるいは錆打ち作業に従事した。

右各作業は、塗装の前段階として修繕船(時には新造船)の発錆部分を削り落とす作業であり、錆の比較的少ない場合は、ディスクサンダー、ワイヤブラシ、スケラ等の工具で錆をこすり落とす錆落し作業が行なわれたが、錆の厚い場合には、スケーリングハンマー(通称錆打鉄砲)やニューマチックハンマーで発錆部分を打撃して錆を落とす錆打ち作業が行なわれた。これらの作業は七、八人から場合により二〇人を超す多人数で行なわれた。

3  原告星野は、昭和二九年頃から昭和三五年頃まで、主として船台において新造船のエンジンルーム、シャフトトンネル(軸路)、操蛇機室等の基礎特殊塗装の作業に従事した。

右の時期は、船台において鉸鋲、填隙等の激烈な騒音作業が未だ相当行なわれている時代であつた。そして、右塗装作業が行なわれるのは、進水に間近く、船体の主要部分は組み立てられている段階であるが、船体の前部、後部での組み立て作業は行なわれており、原告星野の作業する付近で鉸鋲、填隙等の作業が行なわれることも多かつた。

4  同原告は、昭和三五年以降は主として新造船の仕上げ塗装に従事した。

仕上げ塗装は進水後の艤装船において行なわれるものであり、進水後の艤装船における騒音レベルは、船台よりは小さいものの、居住区の組み立て、ピースあとのハツリ等の騒音作業が行なわれていた。

5  原告星野は以上の1ないし4の作業に従事中、錆落し又は錆打ち作業による騒音、船台又は艤装船内における周囲の騒音等の曝露を受けた。

この間、耳栓については、昭和三〇年頃から被告の本工を中心に支給が開始され、同原告も受給したことがあつたが、ほとんど使用しなかつた。

また、同原告は、富士産業に在籍中に聴力検査を受けたことはない。

6  なお、原告星野は昭和二六年二月七日、ブリッジの塗装作業中に高さ約四・五メートルの足場から転落して後頭部を強打し、失神して入院するという事故にあつた。

四聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  原告星野は、昭和二六年頃から耳鳴りを覚え、同年八月に鐘紡病院で診察を受けたところ、軽い難聴と診断された。昭和二七年から昭和二八年にかけて大阪大学病院その他数か所の医院においてビタミン剤の投与等の治療を受けたが、症状は徐々に悪化し、昭和三三年頃には周囲の者から「耳が遠くなつた。」などと言われ、また耳鳴りも常時ガンガンとするようになつた。そして、昭和四〇年以降は、右耳はほとんど聞こえず、左耳もそばで大声を出さないと聞こえない程度にまで悪化している。なお、この間、昭和三八年から昭和三九年にかけて神戸大学病院で、昭和五一年には神戸三菱病院で、それぞれ治療を受けている。

2  同原告は昭和五一年一〇月二五日、騒音性難聴により労災認定を受けた(この事実は当事者間に争いがない。)。

認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右九〇dB、左七四dB、語音最高明瞭度が両耳共〇%であり、障害等級は四級の三(障害等級表によれば「両耳の聴力を全く失つたもの」)である。

3  同原告については、昭和三八年一二月から三九年一月にかけて神大附属病院で測定された四枚のオージオグラム並びに昭和五一年七月から一一月にかけて三菱神戸病院及び関西労災病院で測定された七枚のオージオグラムが存在する。

前者の四枚については、平均純音聴力損失値が右耳八〇dB前後、左耳が七二dB前後であり、オージオグラムのパターンは、概ね水平型を示している。後者の七枚については、数値に相当のバラツキがあるけれども、概ね平均純音聴力損失値が右耳は九〇ないし九八dB、左耳は七四ないし八〇dB程度であり、前者と比較して若干の聴力低下がみられる(右耳に、より顕著である。)。またオージオグラムのパターンは、右耳は水平型であり、左耳は高音漸傾型を示している。そして、全てのオージオグラムにおいて、気導聴力と骨導聴力とに差があり、伝音難聴による聴力低下が存在する。

五因果関係

1  〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

頭部外傷によつて、特にその後遺症によつても難聴を生ずることは、古くから知られている。

頭部外傷による難聴を分類すれば、骨折を伴う場合と骨折のない場合とに分れ、さらに後者は、受傷部位が内耳の場合と後迷路の場合とに分れるが、その症状の特徴は次のとおりである。骨折のない場合については、めまいを伴うことが多いこと、両側性を有すること、難聴の型は感音性であること等が特徴であり、またオージオグラムの型は水平型、高音漸傾型など様々であり、予後も回復する場合、進行する場合等様々である。

2 右1の事実に、前記三及び四の認定事実を総合して検討するに、原告星野が最初に耳鳴りを覚え、鐘紡病院で難聴と診断されたのは、前記後頭部打撲事故が起きて間もない時期である。そして一方、第一編に認定した騒音性難聴の進行経過によれば、騒音性難聴における自覚症状は、障害が相当進行してから現われるものであるところ、同原告の前記耳鳴り発現の時期は、富士産業に入社して一年足らずの時期であり、富士産業入社前の騒音作業歴を考慮しても、右耳鳴りが騒音性難聴の自覚症状とは考え難いところである。

以上によれば、原告星野の難聴の原因は前記後頭部打撲事故である疑いが極めて強い。

3  しかしながら、以下で検討するとおり、原告星野が右事故の前後にわたり、被告神戸造船所において相当強烈な騒音の曝露を受けたことも否定し難い。

すなわち、同原告は昭和二五年から二九年頃にかけて、ディスクサンダー、スケーリングハンマー、ニューマチックハンマー等を用いる錆落しあるいは錆打ち作業に従事していたところ、サンダーの騒音レベルについては、甲第四六号証によれば、八五ホン以上であると認められ、また、スケーリングハンマーについては、その騒音測定資料は存在しないけれども、甲B第五七号証及び弁論の全趣旨によれば、圧搾空気により鋼板等を一分間に八〇〇〇回前後打撃して錆を落とす機械であり、その作業は鉸鋲作業ほどではないにしてもそれに近い騒音を発生させる作業であることが認められ、さらにニューマチックハンマーについては、平均しても一〇〇ホンを超す騒音レベルを有することは第一編に認定したとおりである。

また、同原告は、昭和二九年頃から三五年頃まで、船台における基礎特殊塗装の作業に従事していたところ、〈証拠〉によれば、船台における騒音レベルについては、次のような測定結果の報告があることが認められる。

(1) 甲B第一五号証

この資料は、昭和二四年秋に三菱広島造船所で測定されたものであり、以下に掲げるものは、右資料のうち、船台の進水間近い船体(殆んど完成に近い状態)における騒音測定結果の一部である。

操舵室(容積四・二×四・七×二メートル)内鉸鋲作業  ピークは一二八dB、耳元では一二三dB、最低騒音一一三dB

船内填隙作業  耳元では一二〇dB、一般室内では一〇九〜一一四dB

エンジンルームにての鉸鋲作業  一一三ないし一〇六dB。この場所にて機関艤装工が作業する。

前部甲板中央にて作業する取付鉄工、ガス及び電気熔接工、船体艤装工の蒙つている騒音は一一二ないし九七dB

(2) 甲B第二〇号証の一

この資料は、昭和二五年に某造船所で測定されたものである。次に掲げるのはその一部であり、②ないし⑤はいずれも暗騒音である。

① 上部甲板 一〇〇〜一一五dB

② 上部キャビン内 一〇五〜一一七dB

③ 中部 一〇二〜一〇七dB

④ 下部エンジン室 一一五〜一二四dB

⑤ 下部Oargo Hold 一一〇〜一一九dB

以上の騒音測定結果によれば、船台においては、騒音作業者のみならず、周囲の作業者も相当な騒音に被曝されるものであること、この点は進水間近の船内においてもさほど異なるところがないものであることが認められる。

4  以上によれば、原告星野は富士産業在籍中に騒音被曝を受けたものであり、ことに、昭和二五年から昭和三五年までの一〇年間は、相当激烈な騒音に被曝されたことが明らかである。

そして、前記四の認定事実によれば、原告星野は、前記後頭部打撲事故の後、昭和三〇年から四〇年にかけて、耳鳴りの程度、回数、聴力損失の程度が相当程度進行したことが認められる。

そうすると、同原告の難聴の原因については、その大半が前記後頭部打撲事故にある疑いが極めて強いが、右事故以後の聴力低下の進行については、被告における騒音被曝が影響しているものというべきであり、その限りで、原告星野の聴力障害と被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。なお、前記原告星野のオージオグラムのパターンが水平型であることは右認定を覆すものではない。

六損害

1  慰藉料

原告星野の聴力損失値については、〈証拠〉によれば、労災認定の際に関西労災病院において三回にわたり聴力検査が行なわれ、その結果を総合して聴力損失値が判定されたことが認められるから、これを基準として慰藉料額を算定すべきである。

次に、前記認定事実によれば、原告星野の聴力損失値のなかには、次のものが含まれていることが認められる。

(1) 富士産業入社以前の神戸井手船舶等に在職中の騒音被曝による聴力低下分

(2) 伝音難聴による聴力低下分

(3) 前記後頭部打撲事故による聴力低下分

(4) 加齢による聴力低下分

前記経歴によれば、同原告が労災認定を受けたときの年齢は六七才であつたことが認められるところ、〈証拠〉によれば、同年齢の日本人の加齢にもとづく平均的聴力損失値は二一・六dB(六分法)前後であると認められる。

そして、原告星野が被告神戸造船所において被曝した騒音のレベル、被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右(1)ないし(4)の聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、被告における騒音被曝と相当因果関係のある部分(寄与分)は二割と認めるのが相当である。

右の点に、〈証拠〉にあらわれた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情一切を総合考慮すれば、本件により原告星野の受けた精神的苦痛を慰藉するための金額としては、金一五〇万円をもつて相当と認める。

2  弁護士費用

金一五万円をもつて相当因果関係のある損害と認める。

七時効

1 前記一及び三の事実によれば、原告星野は昭和一三年から約一年間鈴木組に所属し、被告神戸造船所構内において勤務した後、昭和二五年七月に富士産業に入社するまでの間、約一一年間被告神戸造船所構内を離脱していたことが認められる。

しかし、前記四で認定したとおり、同原告が聴力障害を自覚したのは昭和二六年頃であり、鈴木組における騒音被曝によつて独立した被害は生じていないものであるから、それ自体で一個の不法行為又は安全配慮義務違反の行為とみることはできず、独立して消滅時効にはかからないものというべきである。

2 そこで、第一編第九において検討したところによれば、原告星野の被告に対する債務不履行及び不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、被告の騒音職場を最終的に離脱した時点(聴力障害を自覚した時期がそれより遅い場合はその時点)から進行するものと解すべきところ、前認定のとおり原告星野が富士産業を退職したのは昭和五一年七月であり、その時点では既に聴力障害を自覚していたことが認められるから、消滅時効の起算点は右昭和五一年七月である。

3  一方、同原告が本件の訴状を当裁判所に提出し、訴えを提起したのが昭和五四年七月四日であることは当裁判所に顕著である。

そうすると、不法行為の時効期間(三年間)はともかく、債務不履行に関しては、本訴提起までに損害賠償請求権の時効期間である一〇年間を経過していないことが明らかである。したがつて、被告の抗弁は理由がない。

第三原告新井猛

一経歴〈省略〉

二被告における作業歴と騒音被曝状況

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告新井は、大正一三年に被告神戸造船所に入社後、昭和八年まで造船木工場において造船大工として勤務した(この事実は当事者間に争いがない)。

作業内容は、指物工場においてマスト、家具等の製作、船室においてデッキ張りやブリジの組立て、進水後の艤装船内で客室等の床張りなどである。同原告の行う作業自体は鋸、のみ等を用いる作業でさしたる騒音を発生するものではなかつたが、船台での作業では、周囲で行なわれるカシメ、コーキング等の作業による騒音の被曝を受けた。

2  原告新井は、昭和八年から昭和二〇年まで、造機部第一機械工場において、作業用の足場、製品箱の製作や、製品の荷作り作業に従事した(この事実は当事者間に争いがない。)。

右作業には電動式丸鋸が用いられることもあり、一定の騒音を発生させていたが、その使用頻度は、一〇人前後の作業員が交代で一台の丸鋸を使用する程度であつた。

また、右第一機械工場はタービン及びディーゼルエンジンの製作を行う工場であり、工場内では、金属材料の加工、仕上げ、組立等の作業が行なわれ、それらの中には一定の騒音を発生させる作業もあつた。また、タービンやディーゼルエンジンの試運転は相当の騒音を発生させるものであつたが、試運転が行なわれるのは月に一回前後であつた。

3  原告新井は、昭和二〇年頃から昭和三七年まで、右第一機械工場内の消耗品庫において、消耗品類の払い出し業務に従事した(この事実は当事者間に争いがない。)。

同工場内において行なわれていた騒音作業については前記2で述べたとおりであるが、消耗品庫は工場内の一番南側の棟にあつて、東西及び南側は壁に仕切られており(前面にはカウンター及び金網が設置されていた。)、それら騒音作業による騒音の影響はほとんどなかつた。

4  原告新井は、昭和三七年から昭和四四年の退職時まで、被告高砂工場(後に高砂製作所と改称)の重機械課重機械工場内の消耗品庫において、消耗品類の払い出し業務に従事した(この事実は当事者間に争いがない。)。

同工場は、タービンその他の重機械類の製作、試運転を行なう工場であり、前記2で述べたような、金属材料の加工、仕上げ、タービンの試運転等の騒音作業が行なわれていたが、それらの作業は消耗品庫から数十メートル以上離れた場所で行なわれており、またタービンの試運転も月一回程度の頻度で行なわれたにすぎず、それらの騒音による影響はほとんどなかつた。

消耗品庫の前は、ローターのバランス試験場となつていたが、バランス試験が行なわれるのは月に数回程度であり、その騒音の程度もそれほど大きいものではなかつた。

三被告退職後の作業歴

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  原告新井は、被告退職後、昭和四四年七月から四五年一〇月まで、合資会社塚本商店に勤務した。

塚本商店は、丸太を製材し、フォークリフト用の木製パレットを製作する、従業員一〇名程度の会社であり、原告新井は材木を釘で打ち付けてパレットを組み立てる作業(パレット打ち)に従事していたが、周囲では電動のたすき鋸及び丸鋸等を用いる製材作業が行なわれており、一定の騒音を発生させていた。

2  同原告は、昭和四五年一一月から昭和四八年七月まで、文明堂垂水工場に勤務したが、その間、一時カステラ製造用のミキサー運転の作業に従事したが、ミキサー回転時には一定の騒音が発生していた。

3  同原告は、昭和四八年八月から昭和五〇年九月まで、再び塚本商店に勤務し、たすき鋸を用いる製材作業(端取作業)に従事したが、この作業は相当の騒音作業であつた。

4  同原告は右1ないし3の期間に一定の騒音被曝を受けた。

四聴力障害の状況

〈証拠〉によれば以下の事実が認められる。

1  原告新井は、昭和五三年七月四日に騒音性難聴により労災認定を受けた(この事実は当事者間に争いがない。)。認定された聴力障害の程度は、平均純音聴力損失値が右五二dB、左五二dB、語音最高明瞭度は右七〇%、左六五%であり、障害等級は九級の六の二(障害等級表によれば、「両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になつたもの」)である。

もつとも、右労災認定は、最終事業者を塚本商店として認定されたものである。

2  同原告については、昭和五二年七月二二日に東神戸病院附属西診療所で測定されたオージオグラム一枚及び昭和五二年一二月から昭和五三年三月にかけて関西労災病院で測定されたオージオグラム三枚が存在するが、その測定値は、平均純音聴力損失値が左右とも五〇dBから五七dBの範囲にあつて、大きなバラツキはない。また、気導聴力と骨導聴力の差はわずかであり、オージオグラムのパターンは、四〇〇〇HZ及び八〇〇〇HZの高音域において聴力損失が顕著であり、高音漸傾型を示している。

五因果関係

1  原告新井の聴力像については、前記のとおり気導骨導聴力差がわずかであること、オージオグラムのパターンが高音漸傾型を示していることから、騒音性難聴の特徴に合致しているということができるけれども、右聴力像は老人性難聴の特徴にも合致しているのであつて、直ちに騒音性難聴と断定することはできない。

2 次に、前記二の認定事実によれば、同原告は昭和二〇年頃までは一定の騒音被曝を受けていたことが認められ、ことに昭和八年までは船台における作業の際、相当の騒音被曝を受けたことが窺われるが、右船台における作業がどの程度の割合で行なわれていたかは原告新井猛本人尋問の結果によつても明らかでない。そして、遅くとも昭和二〇年以降は騒音の影響のない消耗品庫において勤務していたことが明らかである。

3  ところで、甲第三号証の一(原告新井の供述録取書)中には、原告新井が聴力障害を自覚したのは昭和三〇年頃であり、その後徐々に進行し、被告退職時には日常会話も困難であつた旨の記載がある。

しかしながら、騒音性難聴は騒音の被曝を受けている間は増悪するが、被曝を受けなくなると増悪しない性質を持つものであるところ、前記のとおり原告新井は遅くとも昭和二〇年以降は騒音の影響を受けない消耗品庫内で勤務していたものであるから、それから一〇年近く経過した昭和三〇年頃に、騒音性難聴の自覚症状が出現し、さらに増悪することは考え難いところである。

また、証人鈴木巴、同粟田栄の各証言によれば、同証人らは原告新井の高砂製作所時代の同僚及び上司であつたことが認められるところ、同証人らは、同原告が退職するまで耳が遠いことには気づかなかつた旨証言しているから、この証言に照らしても、前記甲第三号証の一の記載は信用し難く、他に同原告が被告在籍中に聴力障害を自覚していたと認めるに足りる証拠はない。

4 他方、前記三の認定事実によれば、原告新井は被告退職後、合資会社塚本商店及び文明堂垂水工場において勤務定の騒音被曝を受けたが、ことに昭和四八年八月から昭和五〇年九月までのたすき鋸を用いる製材作業では相当の騒音を受けたことが認められる。

そして、同原告の労災認定は、塚本商店を最終事業者として認定されたものであり、また労災認定時の年齢は前記経歴によれば、六六歳であつたことが認められる。

5 以上によれば、原告新井の聴力障害については、被告における騒音被曝が若干寄与している可能性がないとはいえないけれども、その寄与の程度は明らかでなく、他方、被告退職後の騒音被曝あるいは加齢にもとづくものであるとの可能性も相当強いのであつて、結局、原告新井の聴力障害と被告における騒音被曝との相当因果関係は、本件の全証拠によつてもこれを認めることができないというべきである。

したがつて、その余の点を判断するまでもなく、原告新井の請求は理由がない。

六時効

仮に、原告らの主張どおり、原告新井には被告在籍中の昭和三〇年頃から聴力障害の自覚症状があり、右聴力障害と被告における騒音被曝とに相当因果関係が認められるとしても、第一編総論において検討したとおり、このような場合の損害賠償請求権の消滅時効は、債務不履行及び不法行為のいずれについても、遅くとも、同原告が被告を退職した昭和四四年四月には進行を開始するから、同原告が本訴を提起した同五四年七月四日には、すでに、債務不履行については昭和五四年四月に、不法行為については昭和四七年四月に消滅時効が完成したものというべきである。同原告の再抗弁の採用できないこと第一編第九の四で述べたとおりであるから、この点からも原告新井の請求は理由がない。

第四原告悦正禎

一経歴〈省略〉

二被告入構以前の作業歴等

原告悦が昭和一四年から一五年にかけて播磨造船所機械工場において旋盤作業に従事したことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、右旋盤作業自体の騒音はさしたるものではなかつたけれども、周囲では歪取り、ハツリ等の作業が行なわれており、一定の騒音に曝露されたことが認められる。

三被告における作業歴と騒音被曝状況

原告悦が被告神戸造船所に撓鉄工として入社したこと、当初型鋼の曲げ加工、外板の曲げ加工の作業に従事したこと、その後船台や地上での各種歪取り作業に従事したこと、さらにその後、再び外板の曲げ加工作業に従事したことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告悦は、昭和二六年五月、被告神戸造船所に撓鉄工として入社し(昭和二七年一〇月まで臨時工、その後本工)、昭和二八年末まで撓鉄工場S棟において型鋼の曲げ加工作業に、昭和二九年から昭和三〇年までは鉄工場A棟(現F棟)において外板の曲げ加工作業に従事した。

当時、型鋼の曲げ加工は、鋼材をムシホドで加熱し、これを定盤上にジャッキやピンで固定し、スキーザー(横押しプレス)で押し曲げた上、大型ハンマーで叩いて仕上げる方法が行なわれていたが、右仕上作業は大変な騒音作業であり、また型鋼を定盤に固定する際にも大型ハンマーや中ハンマーでジャッキ、ピンを叩いて打ち込む方法がとられており、これも相当な騒音を発生させていた。

次に、外板の曲げ加工は、プレスを用いて外板を曲げた後、歪の生じた部分をガスバーナーで加熱し、ハンマー又はチッピングハンマー(ピーニングハンマー)で打撃して仕上げる方法で行なわれていたが、これも同様の騒音作業であつた。

一般に、撓鉄作業は、水圧・油圧のプレス機械を操作して粗曲げを行う機械撓鉄と、曲げられた部材を定盤上でガスバーナー、ハンマー等を用いて仕上げる定盤撓鉄に分けられる。同原告は、撓鉄S棟では右の双方を、A棟では主として定盤撓鉄に従事していた。

2  同原告は、昭和三〇年から昭和四〇年までの間、船台、進水後の艤装船、組立て場等で歪取り作業に従事した。

右歪取り作業は、ガスバーナーで鉄板等を熱した後にハンマー、ピーニングハンマーで打撃して成型する方法や、ガスバーナーで熱した後に水をかけて冷やす方法(線状加熱法の一種)が用いられていたが、後者の場合にも、歪みの部分にウマを溶接し、カナヤと呼ばれる治具を差し込んでハンマーで叩き、歪みを取つた後、ウマをガス溶接で切断し、グラインダーで仕上げる等の作業が行なわれたので、一定の騒音を伴つていた。

もつとも、昭和三五年頃以降は、線状加熱法の応用技術が発展し、ピーニングハンマー等で打撃して成型する方法が使用されることは、著しく少なくなつた模様である。

3  同原告は、昭和四〇年頃から昭和五二年一一月に大丸百貨店駐車場に休職派遣されるまで、内業係A棟(現F棟)で鋼板の曲げ加工作業に従事した。

鋼板の曲げ加工作業においても、昭和三〇年代からプレスの大型化、精密化がはかられ、仕上げ工程が簡素化される一方、線状加熱法が開発・導入され、部材に傷をつけるピーニング作業はできるだけ避けるようにとの指導もなされたため、昭和三〇年代後半以降はピーニングが行なわれることは少なくなつた。

しかし、ハンマーやチッピングハンマーを用いる打撃成型は、手軽に行えることもあつて、個々の作業者の間では、四〇年代以降も苦干用いられていたほか、ローラー、プレスの作動音、線状加熱法におけるガスバーナーの噴射音等も一定の騒音を発生させていた。

4  耳栓は、昭和二〇年代後半から支給されていたが、耳に合わなかつたり、ハンマー使用時にはずれたりすることもあつて、原告悦は支給された耳栓を十分には装着しなかつた。

四聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  原告悦は、昭和四五年頃から難聴を自覚し、その後も徐々に進行し、耳鳴りもひどくなつた。

2  同原告は、昭和五四年三月二七日、騒音性難聴により労災認定を受けた(この事実は当事者間に争いがない。)。認定された聴力障害の程度は、平均純音聴力損失値が右六二dB、左五九dB、語音最高明瞭度が右七〇%、左六六%であり、障害等級は九級の六の二(障害等級表によれば、「両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になつたもの。」)である。

3  原告悦については、昭和四〇年六月及び昭和四六年三月に被告衛生課で行なわれた聴力検査結果、昭和五二年二月から昭和五四年四月にかけて、被告衛生課、三菱神戸病院等で行なわれた聴力検査結果が存在する(オージオグラムは六枚)。

右オージオグラムを検討すると、昭和四〇年六月のオージオグラムでは既に右四五・〇dB、左三四・二dBの聴力損失がみられる。昭和四六年三月のオージオグラムでは、聴力損失値が右三五・〇dB、左二三・三dBと若干上昇している如くであるが、昭和五二年二月のオージオグラムでは、右五三・三dB、左四五・〇dBと再び低下しており、昭和五三年以降はさらに悪化がみられる(ことに左耳において急速に悪化している。)。

また、昭和五三年一月の東神戸病院附属西診療所における聴力検査では骨導聴力損失値が測定されているところ、それによれば、中音域以下の領域で一〇dBないし二〇dBの気導骨導聴力差がみられ、伝音性難聴の存在が窺われる。また、オージオグラムのパターンは、全体を通じ、水平型から高音漸傾型である。

五因果関係

1  前記認定事実によれば、原告悦は、昭和二六年に入社以来、昭和五二年に休職となるまで、一貫して曲げ加工や歪取り等の撓鉄作業に従事してきたことが認められるところ、〈証拠〉によれば、撓鉄作業に関する騒音レベル及び難聴患者発生状況に関する資料には次のようなものがあること、撓鉄作業は、造船所の騒音作業の中でも、鉸鋲、製缶と並んで最も強烈な騒音作業であるといわれており、騒音性難聴患者も大量に発生していることが認められる。

(一) 騒音レベル

甲B第六号証

鉄 板 曲 げ 九〇〜一二六ホン

甲B第一一号証

片手ハンマー 九〇〜一一五ホン

両手ハンマー 一一〇〜一三〇ホン

ピーニングハンマー 九五〜一二五ホン

甲B第一五号証

歪直し作業(八ポンドハンマー) 耳元で一一一〜一一九dB

歪直し作業(六ポンドハンマー) 耳元で一一四〜一一五dB

歪直し作業(小槌) 耳元で 九八〜一一一dB

甲B第一七号証

中型ハンマー 一三〇ホン以上

(二) 難聴患者発生状況

甲B第一二号証 日本造船工業会の調査

撓鉄工の調査耳数七七のうち、聴力損失値三〇dB以下が一〇耳(一二%)、三〇〜四五dBが二五耳(三二%)、四六dB以上が四二耳(五六%)

甲B第一五八号証 被告の昭和三三年度衛生年報

撓鉄山型工の調査人員一一七名のうち、一五dB以下が六三名(五三・八%)、一六〜四〇dBが四三名(三六・八%)、四一dB以上が一一名(九・四%)

もつとも、前認定のとおり、昭和三〇年代後半からは、大型プレスの導入、線状加熱法の採用等により、撓鉄作業の騒音レベルは相当低下したものと考えられるが、〈証拠〉によれば、プレス作動時の騒音レベルについては、

甲B第四号証 一二〇〜一三〇ホン (水圧プレス)

甲B第一四号証 八〇〜一一七ホン

甲B第四六号証 八五ホン以上

また、ガス切断・加熱の騒音レベルについては、

甲B第四六号証 九〇〜一〇〇ホン等の資料があること、さらに、原告悦の稼働していたA棟(現F棟)の騒音レベルについては、

甲B第四四号証の二

昭和四八年一二月測定(中央値)

九〇・五ホン

昭和五〇年三月一〇日測定

最高 九二 ホ ン

最低 八九 ホ ン

甲B第四五号証

昭和五二年七月一三日測定

九〇・三ホン

八九・七ホン

九四・六ホン

等の資料があることが認められ、これらによれば、昭和四〇年以降もA棟の騒音レベルは騒音許容基準である九〇ホンを越える水準にあつたことが認められる。

2  一方、原告悦の聴力像についてみるに、その聴力損失のなかには、伝音難聴による部分が若干含まれているものの、基本的には感音性難聴であり、オージオグラムのパターンも水平型ないし高音漸傾型を示しており、騒音性難聴の特徴と一致している。

また、昭和四〇年六月の被告衛生課の検査では、同原告は既に相当程度(右四五dB、左三四・二dB)の聴力損失が存在することが認められるところ、この時点における同原告の年齢は四四才であつて、老人性難聴であるとは考えられないし、他に原告悦が聴力損失を来たすような原因も見受けられない。

そうすると、原告悦の聴力損失は、基本的には被告における騒音被曝によるものと認められ、両者の間には相当因果関係があるというべきである。

もつとも、騒音性難聴においては、一度低下した聴力は回復することがないものであるところ、前記聴力検査における聴力損失値は、昭和四〇年六月の検査から昭和四六年三月の検査にかけて上昇し、さらに昭和五二年二月の検査では再び低下している。しかし、右各検査数値には、検査条件によりある程度の誤差はあると考えられるし(右三つの検査は、被告衛生課において実施したものである。)、仮に、右損失値の上昇が伝音難聴の回復によつて生じたものであるとしても、そのことは、原告悦の聴力損失のなかに伝音難聴部分が含まれていることを示すにとどまり、騒音性難聴を否定する根拠とはなりえないものである。

なお、原告悦の聴力障害は昭和四六年以降相当に進行しているところ、前記認定事実によれば、昭和四〇年代以降のA棟における騒音レベルは、昭和三〇年代と比較すると相当低下していたということができるから、右難聴の悪化は、もつぱら被告における騒音被曝によるものとは考えられず、加齢にもとづく聴力低下あるいは、伝音性難聴の進行が相当程度影響していると考えられる。したがつて、右他原因による部分については、被告における騒音被曝とは因果関係がないものとして、慰藉料算定にあたつて斟酌すべきである。

六損害

1  慰藉料

原告悦の聴力損失値(現在)については、労災認定において認定された数値を用いるべきであり、他の聴力検査における数値をより正確だとする証拠はない。

次に、前記認定事実によれば、原告悦の聴力低下のなかには、次の部分が含まれていると認められる。

(1) 被告神戸造船所入構以前の播磨造船所における騒音被曝による聴力低下分

(2) 伝音難聴による聴力低下分

(3) 加齢による聴力低下分

前記経歴によれば、原告悦が労災認定を受けたときの年齢は五八才であつたことが認められるところ〈証拠〉によれば、同年齢における日本人の平均的聴力損失値は、八・九dBであることが認められる。

そして、原告悦が被告神戸造船所において従事した作業の騒音レベル及び被曝期間を前提とし、原告悦が被告入社以前に従事した作業の騒音レベル及び被曝期間、前記オージオグラムに見られる気導・骨導聴力差の程度、前記昭和四六年以降に原告悦の聴力損失が急速に進行した事情等を総合考慮すれば、原告悦の聴力損失値のうち、被告における騒音被曝と相当因果関係がある部分(寄与分)は五割と認めるのが相当である。

右の点に、前記三4の原告悦が十分に耳栓を装着してこなかつた事情、〈証拠〉にあらわれた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情一切を総合考慮すれば、本件により原告悦の受けた精神的苦痛を慰藉するための金額としては、金一五〇万円をもつて相当と認める。

2  弁護士費用

金一五万円をもつて、相当因果関係のある損害と認める。

七時効

第一編第九で述べたところによれば、原告悦の被告に対する債務不履行及び不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、同原告が被告神戸造船所を休職した前記昭和五二年一一月から始まるものであるところ、同原告は、その消滅時効がいずれも完成していない昭和五四年七月四日本訴を提起していること記録上明らかであるから、被告の時効消滅の抗弁は理由がない。

第五原告吉田勉

一経歴〈省略〉

二被告神戸造船所入構以前の作業歴

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  原告吉田は、昭和一七年から約三年四か月間、三光造船株式会社に撓鉄山型工として勤務した。作業内容は、外板やフレームを加熱し、ハンマーで叩いて曲げ加工する撓鉄作業であり、原告吉田はこの間一定の騒音被曝を受けた。〈以下省略〉

第六原告木村信義

一経歴〈省略〉

二被告における作業歴と騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる(ただし、以下の作業場所及び作業内容は当事者間に争いがない。)。

1  原告木村は、昭和二三年一一月、被告神戸造船所に入社し、昭和二九年九月まで鋳造課の土落場で鉄鋳物工として鋳物の砂落し作業に従事した。

作業内容は、鋳物製品に込められている砂をエアハンマー、又はチースと呼ばれる鉄の棒で落す作業であつたが、エアハンマーの使用時には一定の騒音を発生させていた。

2  同原告は、昭和二九年一〇月、労災事故により両足首を骨折して約三年間休職した後、昭和三二年一〇月に復職し、約一年間鋳造工場内の道具庫において道具番として勤務したが、騒音の影響はわずかであつた。なお、この間、鋳物の型の中に入れる「ガガ」と呼ばれる芯金を曲げる作業にも従事した。

3  同原告は昭和三三年九月から昭和五〇年九月までの間(昭和四四年以降は近畿菱重興産に休職派遣、昭和四八年以降は同社社員として)、鋳造課の浴場において、浴槽等の掃除、風呂釜焚き等の作業に従事した。

風呂釜は、昭和三七年六月頃までは石炭焚きであつたが、それ以後は石油ボイラーに切り替えられた。同原告の作業は、午前中に浴槽、浴室等を清掃し、昼頃にボイラーに点火し、その後、ボイラーの作動状況を点険するという内容であり、ボイラー室での作業時間は短かつた。

4  原告木村は、昭和五〇年九月頃から肺結核のため近畿菱重興産を休職した。

三聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  原告木村は、昭和五〇年頃、周囲の者から耳が遠くなつたなどと言われて聴力障害を自覚したが、その後症状は悪化している。

2  同原告は昭和五三年四月七日、騒音性難聴により労災認定を受けた(この事実は当事者間に争いがない。)。

認定された障害の程度は、平均純音聴力損失値が右五四dB、左六三dB、語音最高明瞭度が右八三%、左八〇%であり、障害等級は旧障害等級認定基準による第一一級の四(旧障害等級表によれば、「鼓膜の中等度の欠損その他により一耳の聴力が四〇センチメートル以上では普通の話声を解することができないもの」)である。

3  同原告については、昭和五二年六月から昭和五三年二月にかけて、三菱神戸病院及び関西労災病院で実施された都合四回の聴力検査結果が存在する。

右オージオグラムを検討すると、そのパターンは高音急墜型であり、気導骨導聴力差はわずかである。しかし、聴力損失値については、右耳が四三・三dBから六四・二dBまで、左耳が五〇dBから七四・二dBまでの範囲で、極めて大きなばらつきを示している。

四因果関係

1  〈証拠〉によれば、原告木村は、昭和五〇年九月から肺結核治療のため休職したが、その間、神戸市立玉津病院において、昭和五〇年一〇月一〇日から同年一一月二一日までの間、計一三回にわたり各回一グラムずつ、同年一一月二五日から昭和五一年一月三〇日までの間、計一九回にわたり各回〇・七グラムずつのストレプトマイシンを投与したことが認められる。

ところで、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

ストレプトマイシン、カナマイシン等の抗結核菌抗生物質は、その副作用としてしばしば聴覚障害を起こすことがあり、このことに関しては、薬剤中毒性難聴として数多くの研究報告がなされてきた。

それら研究によれば、ストレプトマイシンによる難聴には、比較的少量の投与で発生し、進行する型(進行型)と、投与量に対応して変動する種々の程度(多くは一過性)の聴覚障害をひき起こす型(変動型)との二つのタイプがある。

進行型の病状は、耳鳴及び難聴である。聴力損失は、初期には認められないことも少なくないが、やがて高音域に限局した聴力損失が現われ、次第に低音域に波及していく。この聴力損失は、投与中止によつても一般に回復せず、時には中止後長期間にわたつて進行したり、また投与終了後になつて発生することもある。

2 ところで、前記三の認定事実によれば、原告木村が聴覚障害を自覚したのは、昭和五〇年頃であり、右ストレプトマイシン投与の時期とほぼ重なる。また、同原告の前記聴力像は、高音急墜型のパターンを示しており、ストレプトマイシン中毒による難聴の特徴とも合致している。

もつとも、〈証拠〉によれば、前記玉津病院では、原告木村に対するストレプトマイシン投与期間中及び投与終了直後に聴力検査を実施し、その結果をもとに、ストレプトマイシンによる聴力低下はみられなかつた旨報告していることが認められる。しかし、前記認定事実によれば、ストレプトマイシンによる難聴は、ストレプトマイシン投与後に出現する場合もあることが認められるから、右玉津病院における聴力検査結果は、必らずしも原告木村が薬剤中毒性難聴であることの可能性を否定するものではない。

3 一方、原告木村の被告における作業歴をみるに、昭和二三年一一月から昭和二九年九月に労災事故に会うまでは、鉄鋳物工として鋳物製品の砂落し作業に従事し、その間エアハンマー使用時には若干の騒音被曝を受けたことが認められるけれども、右エアハンマーを使用していた程度は明らかではない。そして、昭和三二年一〇月に復職後は道具番、あるいは浴場係として勤務したものであるが、前記三に認定した右作業内容からすれば、その間聴力に影響を及ぼすような騒音の被曝を受けていたとは認めがたい。したがつて、同原告は、昭和二九年九月以降は騒音職場を離脱したものというべく、その後二〇年以上も経過して出現した聴力障害が騒音被曝を原因とするものとは考え難いところである。

また、同原告が聴力障害を自覚したのは、年齢が六〇歳頃の時であつて、老人性難聴の可能性も存在する。

4 以上によれば、原告木村の聴力障害は、ストレプトマイシンの副作用によるもの、あるいは加齢にもとづくものである可能性が強く、本件の全証拠によつても、同原告の聴力障害と被告における騒音被曝との因果関係は、これを認めるに十分でない。

そうすると、その余の点を判断するまでもなく、原告木村の請求は理由がない。

第七承継前原告亡西山良樹

一経歴〈省略〉

二被告における作業歴と騒音被曝状況

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  亡西山は、昭和二六年二月から同二九年六月までの間、被告の臨時工として被告神戸造船所において取付け作業に従事した(この事実は当事者間に争いがない)。

取付け作業は、ハンマー、バール、ワンドル、ジャッキ、インパクトレンチ等を使用して部材を船体に取付ける作業であり、作業時間は午前八時から午後四時までであつたが、毎日二・三時間の残業があり、徹夜作業もあつた。また、周囲ではカシメ、コーキング等の作業も行なわれており、亡西山はこの間一定の騒音被曝を受けた。

2  亡西山は、昭和三〇年三月から昭和四〇年三月までの間(このうち信栄工業所に勤務していた約二年半の期間を除く)、鈴木工業所に所属し、設備班として被告神戸造船所内のタラップ、クレーン等の修理、整備等の作業に従事した(この事実は当事者間に争いがない。)。

作業内容は、ガス切断機、溶接機、片手ハンマー等を用いてクレーン等の車輪の取換え、クレーンレールの修正、取換え等を行うものであつた(証人平岡吉明は、右作業を「俗にいう鍛冶屋さん」と証言している。)。

また、昭和三二年頃から昭和三六年頃までの間は、半々程度の割合で船台の取付け作業にも従事した。

船台では、昭和三〇年代から溶接工法への切り替えがすすめられたことにより、昭和三五年頃にはカシメ・コーキング作業は相当減少していた模様である。

3  亡西山は、昭和四一年一〇月から同四四年一月まで三神合同に所属し、被告神戸造船所の船台において取付け工として勤務した(この事実は当事者間に争いがない。)。

4  亡西山は、昭和四四年一月から同四六年二月まで富士産業に所属し、被告神戸造船所機械課W棟において、冷凍器の配管作業に従事した(この事実は当事者間に争いがない。)。作業内容は、ガス切断した鋼管を溶接してパイプを作成し、冷凍器と常設配管とをつなぐ作業であり、工具としてはガス切断器、電気溶接機、仕上げのためのグラインダー等が用いられていた。

5  亡西山は、昭和四六年三月から同五〇年五月まで脇田銅工に所属し、被告高砂製作所の三二一棟において、冷凍機の配管作業に従事した(この事実は当事者間に争いがない。)が、配管にはゴムホースが用いられたので、騒音を発生させる作業ではなかつた。

周囲では冷凍器、ポンプ、タービン等の組み立て、試運転が行なわれており、若干の騒音を発生させていたが、距離も離れており聴覚に影響を及ぼすような程度のものではなかつた。

三聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  亡西山は、昭和三五年頃周囲の者のいうことが聞こえにくい等のことから聴力障害を自覚したが、その後も症状は悪化した。

2  亡西山は、昭和五三年四月に騒音性難聴にもとづく労災申請をしたが、時効のため不支給決定がなされた。

3  亡西山については、昭和五三年二月二二日(当時六八歳)、西診療所において行なわれた聴力検査結果が存する。

右検査結果によれば、平均純音聴力損失値は右五〇・八dB、左六七・五dBであり、語音最高明瞭度は右八〇%、左五〇%である。

オージオグラムを検討すると、左耳については一〇ないし二〇dBの気導骨導聴力差がみられ、伝音難聴の存在を示しているけれども、右耳については気骨差はみられない。オージオグラムのパターンは、両耳とも水平に近いけれども、二〇〇〇HZ以上の音域、ことに八〇〇〇HZの音域の聴力損失がやや大きく、多少の高音漸傾を示している。

四因果関係

1 前記二で認定した事実によれば、亡西山は昭和二六年二月から同二九年六月までの約三年間、昭和三二年頃から昭和三六年頃までの間(このうち半分程度)及び昭和四一年一〇月から同四四年一月までの三度にわたり、船台における取付け作業に従事したことが認められるところ、鉸鋲工法時代の船台の騒音レベルについては、既に前記第二(原告星野関係)の五において認定したとおりであり、〈証拠〉によれば甲板中央で作業する取付工等の蒙つている騒音は一一二ないし九七dBと測定されたこと、〈証拠〉によれば船台の暗騒音は一〇〇ないし一二四dBと測定されていることが認められ、右騒音測定結果によれば、亡西山が昭和三〇年代前半までに相当の騒音被曝を受けたものであることは否定し難い。

また、亡西山は、昭和三〇年三月から昭和四〇年三月までの鈴木工業所時代(途中約二年半の中断期間を除く)には、主としてクレーン修理、整備等の作業に従事していたものであるところ、右作業はガス切断機、溶接機、片手ハンマー等を用いる作業であり、それらの騒音レベルはガス切断については九〇ないし一〇〇ホン(甲B第四六号証)、電気溶接については八五ないし九〇ホン(同号証)、片手ハンマーについては、九〇ないし一一五ホン(甲B第二一号証)、一〇〇ないし一〇七ホン(甲B第一七号証)等の測定資料があり、一定の騒音を発生する作業であつたことが認められる。

2  一方、亡西山の聴力像をみるに、左耳については若干の気骨差が存在するけれども、骨導聴力の低下は顕著であり、基本的に感音性難聴であることは疑いがない。また、オージオグラムのパターンも水平型に近いけれども、若干の高音漸傾を示しており、騒音性難聴の特徴に合致しないとはいえない。

乙第五号証の一(岡本途也、志多亨作成の意見書)には、亡西山の聴力像に関して、「右耳は一二五HZから五〇〇HZまでが、四〇dBまでフラットに落ちているのに、一〇〇〇HZから四〇〇〇HZは五〇〜五五dBしか低下していない。この病例のように、一二五HZから四〇〇〇HZまでの聴力低下がたつた一五dB(四〇〜五五dB)の範囲内にあるようなことは騒音性難聴ではまずあり得ず、四〇〇〇HZ及び八〇〇〇HZはさらに低下していなければならない。」「左耳については、気導・骨導差がほぼ全HZにわたつて見られ、明らかに何らかの伝音難聴が加わつている。骨導聴力も、右耳の骨導聴力に照らせば、ほぼ一致していることから騒音の影響によるものとは考えられない。」としている。

右意見はその根拠を明示していないけれども、騒音性難聴におけるオージオグラムの進行バターンは初期にはC5ディップ型から高音急墜型へと移行し、最終的には水平型に至るものであり、聴力損失の程度が五〇dB前後の水準の場合には水平型を示すことはあり得ないとの見解を前提にしたものと推測される。

しかしながら、甲B第一号証(労働衛生ハンドプック)には、騒音性難聴のオージオグラムの型として次図〈省略〉のような斜降型が存在すると記載されていること、甲B第一九号証(「造船所音響の聴器に及ぼす影響に就ての臨床的研究」草川一正)には、臨床検査成績上、次図のような水平型が三・六%、山型が五・三%、全聾型が一六・二%みられたとされている。

これらの研究報告、そして第一編総論で認定したとおり、聴器の受傷性には個体差が大きいことも総合考慮すれば、前記亡西山のオージオグラムから、直ちに騒音性難聴ではないと結論づけることはできないというべきである。

3  亡西山が右聴力検査を受けたのは年齢が六八歳の時であつたことは、前記のとおりであるが、〈証拠〉によれば、同年齢における日本人の平均的聴力損失値は約二一・五dBであることが認められるが、亡西山の聴力損失値は右平均値を大きく上回つている。

そして、亡西山の聴力損失につき、加齢以外の他の原因が存することを窺わせるような事情は本件の全証拠によつても認めることはできない。

4  以上のほか、亡西山が聴力障害を自覚したのは昭和三五年頃(被告神戸造船所入構後約九年目頃)であることも考慮すると、亡西山の聴力損失と被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

五損害

1  慰藉料

亡西山の慰藉料を算定するにあたつては、前記聴力検査結果における聴力損失値を基礎とすべきであるが、前記三のとおり左耳については気骨差があり、伝音難聴の存在が認められるから、良耳であり、気骨差のみられない右耳の聴力損失値五〇・八dBを基礎として慰藉料を算定すべきである。

そして、労災保険法施行規則別表の障害等級表及び労働省通達(昭和五〇年九月三〇日付基発第五六五号「障害等級認定基準について」)によれば、右聴力損失値は障害等級第九の六の二(「両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解するこができない程度になつたもの」)に該当する。

次に、右聴力損失値の中には、

(1) 他職場(山本造船所及び信栄工業所)における騒音被曝による聴力低下分

(2) 加齢にもとづく聴力低下分が含まれているとみられる。

そして、亡西山が被告神戸造船所において従事した作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、亡西山の聴力損失値から右(1)及び(2)の聴力低下分を控除すれば、亡西山の聴力損失値のうち、被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は三割と認めるのが相当である。

右の点に、甲第九号証にあらわれた亡西山の精神的苦痛その他の諸般の事情一切を総合考慮すれば、本件により亡西山の受けた精神的苦痛を慰藉するための金額は、金一〇〇万円が相当である。

2  弁護士費用

金一〇万円をもつて相当因果関係ある損害と認める。

六時効

1 前記一及び二の事実によれば、亡西山は、昭和三〇年三月に鈴木工業所に入社し、被告神戸造船所に入構後、信栄工業所(神戸造船所構外)、鈴木工業所、三神合同、富士産業、脇田銅工と所属を変え、信栄工業所の時代には約二年半神戸造船所から離脱していたことが認められるけれども、以上は全体として一個の行為として評価し、各別に消滅時効は進行しないものと解するのが相当である。

2 そこで、第一編第九で検討したところによれば、亡西山の被告に対する損害賠償請求権の消滅時効は、亡西山が脇田銅工を退職し、被告高砂製作所を離脱した昭和五〇年五月から進行するものというべきである。そうすると、不法行為に基づく損害賠償請求権については昭和五三年五月の経過をもつて時効消滅しているというべきであるが、債務不履行に基づく損害賠償請求権については、亡西山が本訴提起した昭和五四年七月四日には、まだ時効期間(一〇年間)を満了していなかつたことが明らかであるから、被告の抗弁は理由がない。

七相続

以上によれば、亡西山は被告に対し、債務不履行に基づき金一一〇万円の損害賠償請求債権を有していたと認められるところ、第一編第一のとおり、亡西山が昭和五七年六月一四日に死亡し、以下の原告らがその法定相続分に応じて亡西山を相続したことは当事者間に争いがないから、右損害賠償請求債権は次のとおり〈省略〉各原告らに帰属することとなる。

第八原告吉野秋吉

一経歴〈省略〉

二被告入構以前の作業歴

右争いのない経歴に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告吉野は、昭和三六年(当時三六歳)から昭和三八年までの間、松山工業に所属し、ドラム缶工場においてプレス工として勤務し、一定の騒音被曝を受けた。

2  同原告は、昭和三八年八月から九月まで及び昭和四一年一〇月から昭和四二年八月までの二度にわたり、東亜外業において、溶接工の見習い及びパイプの仮付け作業に従事した。

三被告における作業歴と騒音被曝状況

原告吉野が共栄工業入社後、昭和四五年頃まではI棟において鋳鋼製品の、昭和四六年以降はE棟において鋳鉄製品の、それぞれ仕上げ(整品)作業に従事していたことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告吉野は、昭和三八年九月(当時三八歳)に共栄工業に入社し、昭和四五年まで(前記東亜外業に勤務していた約一〇か月間を除く)は、被告神戸造船所鋳造課I棟において鋳鋼製品の仕上げ(整品)作業に、昭和四六年以降は鋳造課E棟において鋳鉄製品の仕上げ(整品)作業にそれぞれ従事した。

作業内容は、主としてチッピングハンマーによるハツリ作業であり、周囲では多数の者が同時に作業していたほか、残業や徹夜作業も少なくなかつた。また、ときには製品の中に入つてのハツリ作業もあつた。

同原告は、共栄工業に入社後まもなくボーシン(現場責任者)となり、被告の本工との連絡、職人の雇い入れ等の業務にも従事したが、現場の作業に関しては、他の従業員と同程度の作業をこなしていた。

2  耳栓は、遅くとも昭和四〇年頃から支給されていたが、すぐはずれたり、耳が痛むこともあつたため、装着状態は万全ではなかつた。

四聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1  原告吉野は、共栄工業に入社して間もない頃から、作業終了後などに耳鳴りがするようになり、昭和四五年頃から人の声が聞き取りにくくなつて聴力低下を自覚した。その後症状は悪化したが、ことに右耳はほとんど聞き取れない状態である。

2  同原告は、昭和五三年五月一二日(当時五三歳)に騒音性難聴により労災認定を受けた(この事実は当事者間に争いがない)。

認定された障害の程度は、平均純音聴力損失値が右七六dB、左四五dB、語音最高明瞭度が右一八%、左八一%であり、障害等級は第九級の六の三(障害等級表によれば、「一耳の聴力が耳に接しなければ大声を解することができない程度になり、他耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になつたもの」)である。

3  同原告については、昭和五二年五月から同五三年二月にかけて、東神戸病院附属西診療所及び関西労災病院で実施された都合四回の聴力検査結果が存在する。

右検査結果よりみて特徴的なことは、左耳については、障害の程度が比較的軽微な程度にとどまつているのに対して、右耳については、平均純音聴力損失値及び語音最高明瞭度のいずれにおいても極めて重篤な障害を生じていることである。また、オージオグラムのパターンも、左耳が概ね高音急墜型を示しているのに、右耳はほぼ水平型であり、そのパターンを異にしている。

次に、昭和五二年五月に行なわれた検査結果(前記西診療所におけるもの)とその余の三回の聴力検査結果(関西労災病院におけるもの)とを比較すると、前者については、純音聴力損失値が右六七・五dB、左三二・五dBであり、左耳には気導骨導聴力差がみられないが、右耳には顕著な気骨差が存在する(一〇〇〇HZ以下の音域では四〇dB以上に達する)。しかるに、後者については、純音聴力損失値が右耳でいずれも七五dBを越え、前者よりも一〇dB前後悪化しており、また左耳は三八・三dBから五二・五dBまで大きなばらつきがある。また、オージオグラムのパターンも総じてみれば、左耳が高音急墜型、右耳が水平型ということができるけれども、各周波数ごとの数値は、三回の検査ごとにかなり異なつている。さらに、三回の検査の中には、二五〇HZ及び五〇〇HZの周波数において気導聴力損失値より骨導聴力損失値の方が低い数値を示しているものもある。

右3の認定事実にもとづき検討を加えるに、関西労災病院における三回の検査結果は、前記西診療所における検査結果と比較して、わずかな期間に通常考えられない程聴力損失値が悪化しているばかりでなく、数値に少なからぬばらつきがみられ、さらに気導聴力損失値より骨導聴力損失値の方が大きいという、理論上考えられない結果の出ている検査も存する。

以上の点を考慮すれば、関西労災病院における検査結果は、前記西診療所における検査結果と比較して、十分な正確性をもたないものと評価するのが相当である(右の原因は、被検査者の疲労度その他の肉体的条件あるいは心理的要因が作用したものと推測されが、正確には不明というほかない。)。

五因果関係

1 前記四で検討したところによれば、原告吉野の聴力像については、前記西診療所における検査結果にもとづき検討すべきところ、同検査結果によれば、原告吉野の聴力像は、左耳については、騒音性難聴の特徴に合致している(気骨差がなく、高音漸傾型を示している。)けれども、右耳については、低音域において四〇dB以上の極めて顕著な気骨差が存するのみならず、左耳と比較して三〇dB以上も聴力損失値が悪く、また、オージオグラムのパターンも異なつている。

ところで、第一編総論第一において認定した事実によれば、騒音性難聴においては、通常の場合左右耳にほぼ同程度の騒音被曝を受けるものであるから、聴力障害の程度に左右差がなく、オージオグラム上も左右対称性を示すのが一般である。そして、前記三に認定した事実によつても、原告吉野の被告における騒音被曝に関して、左右耳の聴力障害の程度に影響を及ぼすべき特段の事情は認めがたく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。右の点に、同原告の右耳の聴力損失において、顕著な気骨差が認められることも考慮すれば、同原告の右耳の聴力低下のうち、左耳の聴力低下の程度を超える部分については、被告における騒音被曝とは因果関係がないものというべきである。

2 一方、原告吉野は、共栄工業に在籍中の一〇年余にわたる期間、主としてチッピングハンマーによるハツリ作業に従事してきたものであるところ、右ハツリ作業の騒音レベルについては、前記第一(原告平本良国関係)の五において認定したとおり、平均しても一〇〇ホンを越え、ピーク時には一一六ホンにも達する強烈な騒音作業であることが認められ、右の騒音レベル、被曝期間、被告入構以前の作業歴、聴力低下を自覚した時期、原告吉野の左耳の聴力像等を総合考慮すれば、同原告の聴力損失のうち、左耳の聴力損失値を限度とする部分については、被告における騒音作業との間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

六損害

1  慰藉料

原告吉野の慰藉料算定の基礎とすべき聴力損失値については、前記四及び五で検討したとおり、前記西診療所における検査結果のうち、良耳である左耳の聴力損失値(平均純音聴力損失値が三二・五dB、語音最高明瞭度が八〇%)を基礎とすべきである(障害等級一四級二の二)。

そして、右聴力損失値のなかには、以下の部分が含まれていると考えられる。

(1) 被告入構以前の松山工業等における騒音被曝による聴力低下分

(2) 加齢にもとづく聴力低下分

前記四1の事実によれば、原告吉野が労災認定を受けた時の年齢は五三才であるところ、〈証拠〉によれば、同年齢における日本人の平均的聴力損失値は、六・五dB前後であることが認められる。

そして、原告吉野が被告神戸造船所において従事した作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右(1)及び(2)の聴力低下分を控除すれば、原告吉野の前記聴力損失値のうち、被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は、七割と認めるのが相当である。

右の点に、甲第一〇号証、原告吉野秋吉本人尋問の結果にあらわれた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を総合考慮すれば、本件により原告吉野の受けた精神的苦痛を慰藉するための金額は、金五〇万円が相当である。

2  弁護士費用

金五万円をもつて相当因果関係のある損害と認める。

七時効

1 前記一及び三の事実によれば、原告吉野は昭和四一年一〇月に共栄工業を退職し、昭和四二年八月に再入社するまでの間約一〇月間被告神戸造船所を離脱していたことが認められるけれども、騒音性難聴の性質上、中途退職の前後を通じ一個の行為と評価すべきであり、各別に消滅時効は進行しないものというべきである。

2 そこで、第一編第九で検討したところによれば、原告吉野の被告に対する消滅時効は、原告吉野が共栄工業を休職し被告神戸造船所を離脱した昭和五二年四月から進行するものというべく、本訴提起が同五四年七月四日であるから、不法行為、債務不履行のいずれについても、時効期間が満了していないことは明らかである。

第九原告吉岡惟恭

一経歴〈省略〉

二被告神戸造船所入構以前の作業歴〈証拠〉によれば、原告吉岡は、昭和一〇年頃から昭和二〇年頃までの間、摂津商船、辰馬汽船等の海運会社に船員として勤務し(昭和一七年頃からは一時軍属として軍船に乗務)、主にボイラーをたく火夫としての作業に従事したことが認められる。

三被告神戸造船所における作業歴と騒音被曝状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる(入社時期、所属、作業内容については当事者間に争いがない。)。

1  原告吉岡は、昭和二三年一二月、被告神戸造船所に入社し、船渠課配船係に所属し、機関員として曳船(港内船)に乗務した。

曳船は、レシプロエンジン(蒸気機関)を原動力とする数百トン程度の船であり、本船(修繕船等)をドックに出し入れさせるため、ロープをつけて引つ張る作業をするものであるが、同原告は、機関員としてボイラーの釜たき、主機の油さし、主機その他の機械の操作等の作業に従事した。

レシプロエンジンは、一定の騒音を発生させるものであるが、その騒音の程度はそれほど大きいものではない。また曳船が稼働しているのは一日四時間程度であり、その余は岸壁等に待機しているが、待機中には騒音の影響はほとんどなかつた。

2  同原告は、昭和三七年頃から約一年間、沖修理の本船に作業員を運搬するランチ「鳩丸」に機関員として乗務した。鳩丸のエンジンはディーゼルエンジンであり、相当の騒音を発生させるものであつたが、一日の稼働時間はやはり四時間前後であり、稼働中も、機関員は機関部から離れたブリッジで運転することが多かつた。

3  同原告は、昭和三八年頃から退職まで、本船と岸壁との間でロープの運搬(網取り作業)を行なう機付船に機関員として乗務した。

右機付船は、ディーゼルエンジンを原動力とする、全長七、八メートルの船である。同船は、その発生騒音から「チャチャ船」などと呼ばれており、機関室はデイーゼルエンジンのすぐ後ろにあつたため、原告吉岡は一定の騒音被曝を受けた。もつとも、右「チャチャ船」のディーゼルエンジンは八馬力程度の小さなものであり、また、稼働時間も一日三〜四時間前後であつた。

四聴力障害の状況

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告吉岡は昭和二三年に被告に入社したが、昭和二八年頃(当時四二歳)から、周囲の者が呼んでも気づかない事等が重なり、聴力障害を自覚するようになつた。

聴力障害は、その後進行したが、昭和四二年に五五歳で被告を退職した後も相当程度悪化した。

2  同原告は昭和五四年六月(当時六七歳)に神戸協同病院において職業性難聴との診断を受け、労災保険給付の支給申請をしたが、時効完成のため不支給とされた。

右神戸協同病院における聴力検査結果は、平均純音聴力が右五二dB、左四八dBである。

オージオグラム上、低音域から中音域にかけて気導骨導聴力差が顕著にみられ、伝音難聴の存在が明らかである。同オージオグラムより、六分法で骨導聴力損失値を計算すると、右二九・二dB、左三〇・〇dBであり、したがつて、気骨差は右二二・八dB、左一八dBということになる。

また、オージオグラムのパターンは、左耳は高音漸傾型であるが、右耳は水平型であり、若干パターンを異にしている。

五因果関係

1  原告吉岡が聴力障害を自覚したのは、前認定のとおり昭和二八年頃であると認められるところ、右の時期は、同原告がレシプロエンジンを原動力とする曳船に乗務していた時期である。レシプロエンジンは若干の騒音を発生することが窺われないでもないが、原告吉岡自身、本人尋問において「レシプロエンジンいうたら、要するにクランクが一分間に七〇、七五回転する音ぐらいのことですから、たかが知れとるんですよ。」と述べ、さらに被告代理人の「あなたとしては、レシプロ時代は、まあさしたる音とは思わなかつた。」との質問に対し、「はあ、思わなかつたですね。」と供述しているところである。また、右昭和二八年頃は、原告吉岡が被告に入社して五年ぐらい経過したにすぎない時期である。

右のレシプロエンジンの騒音程度及び騒音被曝時間よりすれば、原告吉岡の自覚した聴力障害が被告における騒音被曝によるものとすることには疑問がある。

2  もつとも、同原告は昭和三七年頃から退職までの約五年間、ディーゼルエンジンを原動力とする船に乗務していたことが認められるところ、ディーゼルエンジンの騒音レベルに関しては、次のような騒音測定資料がある。

(1) 甲B第一八号証

内火艇(内燃機関を動力とする小艇)機関室 九五〜一一五ホン

ディーゼル汽船 六〇〜一〇五ホン

(2) 甲B第二一号証

ディーゼルエンジン(内火艇) 一一〇〜一一五ホン

ところで前記三の認定事実によれば、原告吉岡が乗務していた「鳩丸」は、エンジン部と機関室が相当離れていたこと、「チャチャ船」は八馬力程度の小さな船であり、騒音程度は一般のディーゼルエンジン船と比較して若干低かつたと推認されること、両船とも一日の稼働時間は四時間前後であつたことが認められるけれども、これらの点を考慮しても原告吉岡は相当の騒音被曝を受けたことは否定し難い。

3 しかしながら、同原告の平均純音聴力損失値は、右五二dB、左四八dBであるが、このなかには伝音難聴による聴力低下分(右二二・八dB、左一八dB)が含まれていることは、前記四に認定のとおりであり、この部分については、被告における騒音被曝と無関係であることは明らかである。

のみならず、前記四の認定事実によれば、原告吉岡は、昭和四二年に五五歳で被告を退職した後も、その聴力は相当に悪化していることが認められ、右退職時の年齢を考慮すると、その後の聴力低下は、加齢にもとづくものである可能性が高い。そして、同原告が神戸協同病院で聴力検査を受けた時の年齢は六七歳であるところ、〈証拠〉によれば、同年齢の日本人の平均的聴力損失値は二一・五dB前後であることが認められる。

そして、同原告の前記純音聴力損失値から、伝音難聴による聴力損失値及び加齢にもとづく平均的聴力損失値を控除すれば、その残りは両耳とも一〇dB未満にすぎない。

4  以上によれば、原告吉岡の聴力低下には、前記ディーゼルエンジンを動力とする船に乗務していた期間の騒音被曝が寄与している疑いがないとはいえないけれども、右期間は五年程度であり、一日の被曝時間も四時間前後であるとの事情も存すること、同原告が聴力低下を自覚した時期には、被告における騒音被曝の影響はほとんどなかつたと考えられ、したがつて原告吉岡はこの時点以前から伝音難聴に罹患していたか、あるいは他職場で騒音被曝を受けるなど、他原因が存在したと考えられること、同原告が被告入構以前に船員として勤務した約一〇年間の間には、騒音被曝を受けていた可能性も否定できないこと等を考慮すれば、同原告の聴力低下と被告における騒音被曝との間に相当因果関係を認めるには十分でないというべきである。

したがつて、その余の点を判断するまでもなく、原告吉岡の請求は理由がない。

六時効

仮に、右相当因果関係が認められるとしても、原告吉岡は昭和四二年に被告を退職したこと、右退職時には、既に聴力低下を自覚していたことは前認定のとおりであるから、債務不履行及び不法行為のいずれについても、損害賠償請求権の消滅時効は、右退職時点から進行を開始し、同原告が本訴を提起した昭和五四年七月四日にはすでに、債務不履行については昭和五二年中に、不法行為については昭和四五年中に消滅時効が完成しているといわざるを得ない。同原告の再抗弁が採用できないこと第一編第九の四で述べたとおりであるから、この点からみても、原告吉岡の本訴請求は理由がない。

第三編結 論

以上の次第であるから、被告は、原告平本に対し金二二〇万円、同星野に対し金一六五万円、同悦に対し金一六五万円、同吉田に対し金二七五万円、同吉野に対し金五五万円、同西山寿子に対し金八二万五〇〇〇円、同西山栄樹に対し金六万八七五〇円、同永野玉亀、同小笠原明子、同公文秀央、同公文末喜、同石川長治に対し各金三万四三七五円、同勝千代子、同山河征子、同奥田紀美子、同石川守、同石川二三子、同佐々木久恵、同藤尾タカ子に対し各金四九一〇円の損害賠償金及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五四年七月一三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

よつて、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから、これを認容するが、原告新井、同木村、同吉岡の各請求及びその余の原告らのその余の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行免脱宣言はこれを付するのが相当でないものと認めその申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官広岡 保 裁判官寺田幸雄、同倉澤千巌は、いずれも転勤のため署名捺印することができない。 裁判長裁判官広岡 保)

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